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ミモザの候 3: リビングダイニングでの「ショートステイ」

父の終の棲家は介護施設のリビングダイニングの片隅だった。「ショートステイ」枠での生活はほぼ2年間続いた。

入居当初はショートステイ用の個室が与えられていたのだが、レビー特有の不安・妄想の症状があって個室にいることができなかったため、常に誰かがいて目が届くリビングダイニングへベッドが移された、と聞いた。

大きな窓際にベッドと洋服入れのタンスがひとつ。天井にはカーテンレールがついていた。向かい側にも同様のしつらえがあった。入居当時、100歳近い色白のおばあちゃんが静かに眠っていた。そして、その次は、父より後に入居してきたおじさん。

介護施設で「ベッドが空く」「部屋が空く」というのはどなたかが亡くなった時だ、と高校時代に家庭科の授業で特養ホームを訪問した際に聞いた。

さて、あれは入居して1年が過ぎた頃、個室に空きができたことを知った父は自ら望んで個室に移してもらったらしい。食事後にそれぞれの部屋に帰っていく入居者を見ている父にとって、「個室」は憧れだったのだろう。

ところが、1週間ほどで父は鬱になった。情緒が不安定になり嚥下機能も低下して家族が医者に呼ばれる危機がきた。なんとか乗り越えたのち、私たち家族は父を定位置であるリビングダイニングに戻してもらった。人の気配を感じて安心できることが父には必要だったから。父もまた、穏やかな生活に戻っていった。

リビングダイニングという場所は不思議なところで、皆で食事をしたり日々の時間を過ごしたりするなかで、父にとって、私たちとは違った「家族」が築かれていった。個性豊かな入居者さんたちと、これまた個性豊かな介護士さんたち、そして出入りする散髪屋さんや主治医や看護師。多くの人の目に触れられながら(いや、見守られながら)、父は毎日を過ごしていた。そこには、このリビングダイニングの掟があった。ここで生活する人たちの「家族」の時間があった。

だから、面会時には私たち家族も、ちょっとだけ新しいテイを装って、その「家族」のなかに入っていった。彼らの親戚くらいにはなれただろうか。

それでも、父はこの新しい「家族」にはどこか頑なところもあった。威厳を保とうとしていた、というか何というか。父なりに、だんだん不自由になっていく体とやりきれない心、そして受け入れざるをえない現実に折り合いをつけていたのだと思う。

私たち家族は、面会の都度皆で父に触れた。思いっきり遠慮なく触れた。「セクハラタイム!」と冗談めかして父の腕や肩や足をそれぞれにマッサージした。この面会時間の束の間だけでも、父を自分たちのところに留めておきたい、家族を感じていたい、という気持ちだったし、父にもほんとうの家族を感じてほしかった。

リビングダイニングで公然とはじまる「セクハラタイム」は、当然、他の入居者さんや介護士さんたちの目にもとまる。皆が温かく見守ってくれた。他の入居者さんが「私も(マッサージしてほしい)...」と言いだすと、介護士さんも「はいよ~」とうまく対応していた。マッサージで気持ちがよくなったせいか、家族といる安心感からか、父はこの公然「セクハラタイム」を少し誇らしげに楽しんでいたように思う。

年末の緊急入院から看取りのための退院をした父は、いつもの定位置、リビングダイニングの片隅のベッドで、お気に入りの介護士さんの腕の中で息をひきとった。

2018年3月~2020年2月
2022年8月27日 記


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