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ミモザの候 18: 滅菌室

年末に父が救急搬送された総合病院は市の中心部にあった。時折検査を受けていた施設近くの病院では受け入れることができなかったため、遠く離れたこの病院に運ばれることになったそうだ。

世間と同じように、この病院でも診療はすでに年末シフトになっていた。救急で父を担当した医師の診断と対応が極めてよかったらしい。高額な治療ではあったけれど、それがいつもの病院ではできない処置だったということを、父が看取りの退院をした際に施設の主治医に聞いた。

「おまけ、おまけをもらった」と彼は表現した。

それは、もはや父の命が風のなかにあるということだった。人間の手の届かないところに、父の命は誘われようとしていた。


命の在り様を見とどける。

病棟5階の西の突きあたり、滅菌室の個室でひとり眠る父を前に私はそう誓った。

家族はもうくたくただった。バトンを引き継ぐように、年末年始と年明けしばらくの間は私が毎日面会に通った。奇妙なことだが、私はいよいよ自分の出番だ、と思った。

施設に比べて交通の便もよく、通いやすい病院だ。悔いのないよう父との時間を生きよう、そう思った。

エレベーターのドアが開いて、受付で看護師に一声かけ、北側の病室群へと向かう。医療用マスクをのせたワゴンが病室の前に置いてある。荷物を置き、帽子とマフラーと手袋をとり、コートを脱ぎ、いくつも紐が付いた息苦しくなるマスクを顔に密着するようにつける。病室のドアをスライドさせ、右の洗面で手を消毒する。そしてカーテンをあける。

時空がおかしい。心臓に羽が生えて体が浮きそうになる感じと、足の裏で地面を踏みしめる感じが混ざった、あぁ、またあの感覚だ。鼓動だけが熱く聞こえる。

父に会いたい気持ちと、父の命を確かめる勇気と、その命を見とどける使命感のようなものと、そして、漠然とした恐怖が混在する。

結局、カーテンに手をかけるときは、いつも「お父さん」への気持ちが勝った。

カーテンを開けると、父は、そこに懸命に生きていた。昨日とは大きく変わらない父がいた。一瞬ほっとする。けれど、つきまとうあの感覚を打ち消すように、今度は家族としての会話をしようと務める。どこかよそよそしいけれどこんな自分もいるのだ、と見知らぬ自分に驚いたものだった。


施設では父のお隣さんだった入居者さんが亡くなり、風邪のようなものもはやっていたため、家族はしばらく父に会えていなかった。そんなこともあってだろう、ここしばらく食が細くなってしまい眠ることが多くなったと聞いて、家族はとても心配していた。

この頃、担当介護士のUさんとの電話連絡がすこし空き気味だったのは、彼女が近々職場を移る準備をしていたことが理由だったのだと思う。そして、おそらく施設のなかでは、父はそろそろだろう、という雰囲気もあったのだと思う。


滅菌室では、点滴が3本そして酸素吸入等々、父の体には上も下も左も右も管がいっぱいで、私は引っかからないように注意を払わなければならなかった。しかし、この管のおかげで、父の状況はしだいに落ち着いていった。

天井を眺めて何か言いたそうにしているときは、父の酸素マスクを外した。そして、かすかな声を聞き逃さないように顔を近づけ、私たちは言葉を交わした。父が眠っているときは、独り言のような会話でその静けさを埋めることもあった。

病室から見える市民には馴染みの公園、その緑が唯一の見慣れたものだった。

この部屋には父の命があった。

マスクで汗だくになりながら、私は、父の命の居場所に同座させてもらっていた。

父の命が欲するままに、風に吹かれるままに。

この小さな病室は、まるで聖堂のようだった。

ソファには施設からきたくまさんのぬいぐるみが座っていた。

ベッドの手すりには八幡神社のお守りが結ばれていた。

枕の下には祈りの込められた手ぬぐいが敷かれていた。

2019年末~2020年始
2022年9月17日 記

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