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ミモザの候 23: 介護士Uさん

同世代の介護士Uさんは元看護師で、父が入居した介護付グループホームの副施設長をしていた。病院で伯母のケアマネージャーからメモをもらった数日後、私たちは彼女を訪ねて施設を見学した。彼女ともう一人の副施設長の介護士さんはあれこれ丁寧に説明してくれた。
 
伯母も父も、それぞれがそれぞれに、ベッドの上で闘っていた。
そして、私たち家族も、闘っていた。
 
面談で私たちが訴えたこと、それは、父を精神病院から退院させたい、という私たちの決意だった。それを背負うようにして、彼女もいざ、戦にでた。早々に父に面会に行き、あの医院長を相手に、ひるむことなく、退院を承諾させた。
 
退院の日にもこの二人の副施設長たちが登場した。施設のバンを病院の入り口近くにとめて、エントランスまで車いすで運ばれてきた父をみるやすぐさま体とカルテを確認し、車いすに乗せかえて、それは見事な速さで父を連れて出た。

自宅とは正反対の方向へ向かうバン、中に見え隠れする父の後ろ姿。私たちの車はただそれを追った。病院のあの消毒の臭いが、車のスピードとともにしだいにふるい落とされていくようだった。


介護士Uさんはとても正直で、高い介護技術と能力をもっていた。彼女の鋭い観察力、臨機応変に対応できる技量、そしてそれぞれの残存機能を耕してくような積極的な介護姿勢は、おそらく彼女の看護師としての経験に裏打ちされたものだろう。彼女の大きな声と明るい性格もこの施設にどこか家庭的な雰囲気を与えていた。冗談がいつも飛び交うリビングダイニングだった。
 
あの施設のリビングルームはまるで別世界だった。あそこには豊かな生の世界があって、それがどれだけ現実とかけ離れていようとも、その善悪なんて、誰も何も言えない。
こちらは、その世界への訪問者でしかないのだけれど...。世俗で汚れたものを持ち込まない、そんなものこそまったく通用しないコミュニケーションの世界。それは古い記憶を呼び起こすような、どこか懐かしいものだった。

看護よりも介護のほうが自分にとっては救われる、とある時彼女はふと言った。


何度もの修羅場を経験した父と介護士Uさんの間には、いつのまにか深い信頼が生まれていた。父が、「お世話をしてくれる人」と自分のことを説明する、と彼女は私たちに言ったけれど、それは、私たちへの彼女なりの礼儀を示しているようにも思えた。
 
父がはっきりと意思表示ができることもあってか、レビー小体型認知症患者の介護について、彼女と施設付きの主治医を中心にあれこれ試みがなされていたのはうすうす感じていたが、介護方針についてはお任せしていた。とはいえ、疑問があれば質問をするし、あちらもこうなったああなった、こうしていくつもりだ、と連絡は密にしていた。
面会のときには、ささやかであっても父の頑張りを見つけ出して皆で喜ぶ。なんの偽りもないこうしたことが、結果的に、それを見守る介護士さんたちへの感謝とエールになるのだろう、そう思って過ごしていた。
 
やがて、父を中心に、不思議な関係が育まれていった。それは、まるで遠縁のような。 


この施設の介護スタッフは棟ごとに少しずつ担当をローテーションしていた。Uさんは実質的に施設長の役割も果たすようになっていたのだが、だからこそなのか、難しいレビー小体型認知症の父の介護を変わらずに担当していたし、ずっと父のいた棟のリビングダイニングを拠点にしていた。
 
もともと観察眼が鋭かった父は、その能力を変わらず発揮していたようで、どうやら介護士さんたちをその介護技能によって評価していたらしい。
介護士のUさんも、また、自分の介護を手本として技術を盗みとるようにと、介護士たちへの「見せる教育」をしていた。入居者さんそれぞれをよく見ること、一人ひとりの状態に応じた介護は、教えるものではなく、盗みとるようにして身につけていくもの。そうした信念のもとで、彼女は父の介護のいろいろな部分をそれぞれの技能段階にある介護士さんたちに託したりしていた。

ほほう、父とUさんは介護士育成プロジェクトを組んでいたのだな。レビー小体型認知症、恐るべしである。
 
冷静に考えてみると、入居者は介護士に体を預ける、つまり命を預けるのだから、相手の技量がおぼつかなければ不安にもなるだろうし、心地も悪いだろうし、下手をすれば危険でさえある。ただ、他の入居者さんはそれを表現できないけれど、レビー型は幻視や妄想が消えていればかなりはっきり意思疎通ができるために、父がお役に立っていたのだった。
 
「その人」をどこまでも掬いとっていくような介護。
 
実際、Uさんがやってみたいという提案には協力したし、家族も意見を言ったり提案したり情報を提供したりした。また、「家族」の範囲内で、面会や差し入れを通じて少し工夫してみたりもした。


皆が偶然にひとつの舟に乗り合わせたような時間、それは不思議な世界を紡いでいった。

父も含めそれぞれがそれぞれの領分を弁えつつ、決して超えることなく、だけれど、そこから染み出すような関係が漂ってきた。それは、甘えのようなものではなく、むしろ必然性を帯びたようなもの、そうなってしまうような感じの関係だ。
 
たとえば、Uさんは息子2人を女手ひとつで育てていた。そうした話もゆっくりと自然と出てくる。たとえば、長男が不登校になっていて高校受験が厳しくて悩んでいる、といった話は、病院で検査中の父を廊下の長椅子に座って待つ際、母との会話のなかにふと出てくる。たまたま教育に関わる仕事をしている私は、その話を聞いて、近くの有名な神社の勝守りを母に託した。長男がそのお守りを財布に付けているのを何かの拍子に見かけたと、彼女が母に伝え、それを聞いて...と世界は続いていく。
 
こんなふうに、父を真ん中において、網のような繋がりが紡がれていった。父の困りごと、それを支える人の困りごとは、まるで私たち家族の困りごとでもあるかのような。
でも、立ち入ってはいけない。それでも、心からのシンパシーを表現するのを惜しまない。
細い糸が編まれていくような、そんな網が、この不思議な世界には築かれていった。
 
これが、深い深いところにあるケアの本質ではないか。


Uさんが退職の準備に入って忙しくなった頃、父の担当をいったん外れたのだろう、見慣れない介護士さんたちが多く出入りして、以前に比べ父の介護が手薄になった時期があった。彼女との連絡の間隔も長くなっていた。そんな時、時折襲う大波がまた父をのみこんだ。食が細り体力がおち、寝ついてしまい、もうこの波は超えられないと思われた。
 
年末の救急搬送の時に、母はUさんと久しぶりにゆっくりと話をしたそうだ。もちろん、父のこと。そして、彼女の家族のこと等も。
病院で明らかになった父の介護状態を彼女はひどく恥じていた。彼女がいない間の父の介護のありさまを、彼女のプライドは許さなかったのだろう。そして、おそらく父に対する申し訳なさを、どこか感じていたのかもしれない。

忙しい年末年始のシフトの合間をぬうように、彼女は片道小一時間をかけ幾度か病院へ父を見舞ったようだ。ソファに置かれた施設の大きなくまのぬいぐるみは彼女の祈りでもあったと思う。


リハビリによる回復の見込みなしと診断された父は、早々に点滴の数も質も落とされ、看取りの退院をすることになった。その時も、父は介護士Uさんに付き添われた。施設に到着した父が「なんだ、自宅じゃないのか、施設か...」というがっかりした顔をした、と言って、彼女は悲しい退院の空気を冗談で吹き飛ばしたそうだ。
 
施設のリビングダイニングの父の定位置には今までとは違ったマットが敷かれ加湿器が置かれた。「美肌、エステ効果やね」と言うUさんには、静かな気合が感じられた。
新しい職場も決まったようで、彼女は父担当のシフトに戻っていた。
 
おだやかに、時間は過ぎていった。彼女の看護師としての知識と介護士としての眼差しが父を見守っていた。


月が改まるころ、玄関まで見送りにきた彼女は、私たちに、「私、来月の15日がここでの勤務の最終日で。でも、お父さん、ほら、繊細やし、勘が鋭いから、なんだか合わせるような気がして...」と小声で、言いにくそうに口にした。それは父が昏睡に入る前、彼女の予感だった。

家族は、「そうやろうね」「うん、たぶん」「お父さん、絶対にUさん、狙ってるよ...」と口々に言った。それはもはや、家族の望みでもあった。
 
静かに、時間は過ぎていった。

Uさんは、「お父さん、今が一番、意識がはっきりしている。妄想も不安も幻視もないし。はっきり会話ができる」と言った。
あぁ、父は最後まで「その人」だったし、「その人」でいられたのだ。


たぶん、いわゆる危篤、という状況の頃。余談になるが、ドラマでよくある危篤というのは、他者目線の判断なのだろうと思う。家族にとっては、時間はずっとグラデーションである。
Uさんに浴衣とさらしをもってきてくれと頼まれた。こんな真冬に浴衣がどこで手に入るのか。呉服店を訪ねたが見あたらない。すると、ひらめきの神様が、大学病院の売店を知らせてくれた。浴衣2枚とさらし一反、これが父への最後のお届け物となった。
 
父は、お気に入りのUさんの夜勤の日、その明け方に亡くなった。傍らには、これまた父のお気に入りだった元力士くんが、その日だけ別の棟から戻ってきていた。
家族が駆けつけ、玄関の扉を開けたちょうどその時に、彼女の腕の中で父は息を引きとった。彼女は大粒の涙を流しながら、それでもカーテンをさっと閉め、元力士くんに的確に指示をし、エンゼルケアを施したという。あの浴衣はこの時のためのものだった。
 
あっぱれである。
父は、狙いすましたように旅立っていった。

2018年2月~2020年2月
2022年9月25日 記


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