「じゃがいも」のお寺話36 奈良時代の寺院
奈良時代(710年〜)の仏教は宗教というよりも学問の対象であり、お寺は宗教施設というより学校に近く、宗派というより学派のようであったとされます。
奈良仏教は後に南都六宗と呼ばれる6つの宗派があったと言われます。南都という表現自体が平安京側から見た平城京を意味していて、南都六宗は平安時代の天台宗、真言宗に対して奈良仏教を区別するために作られた名称です。南都六宗は三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗の6宗派です。
663年に白村江の戦い(はくそんこうのたたかい)という戦争があったようです。
660年に百済が滅亡、百済の復興ために日本と百済の連合軍が唐と新羅の連合軍と戦ったのが白村江の戦いです。この戦争で日本と百済の連合軍は大敗しました。
この敗戦は不安感、危機感を生みました。唐という巨大な国とどのような関係を結ぶべきか、百済のように日本も滅亡してしまうのか。
唐と友好的な関係を築く方法を模索することになり、主従関係や上下関係ではなく対等な関係を保つための国作りが急ぎ必要だと考えることになります。大化の改新以降の体制作りが急ピッチで進められることになります。
こうした国の情勢により、仏教も日本が近隣諸国から一つの国と認められるための重要な要素と考えられました。お寺作り、僧侶の育成などを国主導で進めることになったと考えられます。奈良時代の仏教が学問であり、お寺が学校に近いと表現される理由と理解しています。
奈良時代の仏教が行っていた宗教的な活動は鎮護国家思想よる呪術的ご祈祷くらいで、現代の僧侶が一般の方に対して説法やご祈祷をするような行為はほとんどなかったと言われます。理解できる気がします。