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#殺人犯の日記
殺人犯の日記を読んだ。
正しく言えば、殺人犯に仕立て上げられた人の日記をよんだ。
もっと正確に言えば、藤井清美さん著『#ある朝殺人犯になっていた』を読んだ。
ざっと、こんな話。
これは、U-NEXTから出版されている小説。
主人公は、売れない若手漫才コンビ「スレンダーズ」のツッコミ、浮気淳弥(うきじゅんや)。
彼の日記のような独白、いわゆるモノローグで話は進む。
ただ、その内容は日記という言葉でイメージされるような、あたたかいものじゃない。
ある朝、ツイッターを見ると、主人公は10年前に起きた轢き逃げ事件の犯人に仕立て上げられている。
事故現場と実家が近所、目撃者の証言に合致しそうな風貌、なんかあやしい、なんか気に食わない…大体それだけの理由で。
殺人犯は主人公だと信じて疑わないSNSの住民たちは、心ない言葉で彼を攻撃し、執拗に追いかけ、彼の実家や元カノにまで危険が及ぶことになる。
いわゆる大炎上だ。
あまりの炎上具合に、主人公は信頼していた相方やマネージャーにまで疑いの目を向けてしまう。
この大炎上を収める方法はただひとつ。
時効が迫っている轢き逃げ事件の真犯人を突き止めること。
そう心に決め、事件現場にいた当時6歳の幸太くんや目撃者を探し出し、真相へと向かう痛快ミステリーだ。
そろそろ、思ったことを。
(超個人的見解)
著者である藤井清美さんは、推薦コメントに「いつか自分が体験するかもしれないことを予め読書を通して体験しておく」と書いている。
要は、「誰にでも起こりうる話」ということだ。
自分で「要は」なんて言っておきながらだけど、この表現は正しくて、正しくないと思う。
この話は、起こりうる話だし、今この瞬間も起こっている話だと思うから。
このサイトからしばらく離れて、ニュースサイトを開き、気になったニュースのコメント欄を見てほしい。
そこで誰かが誰かを無責任に叩いてはいないだろうか。
そのコメントに影響を受けた誰かがまたコメントしていないだろうか。
ネット上の投稿コメントは、次の過激な投稿コメントを生み、やがてネットの世界を飛び出していく。
根も葉もない噂は鋭利な武器へと変わり、誰かの急所を突き刺す。
ある朝、あなたや僕が殺人犯になってしまう可能性だってある。
軽はずみな投稿で、見知らぬ誰かを追い詰めてしまうことで。
気づかずに「ある朝殺人犯になっていた」人は、山のようにいるのかもしれない。
このnoteへの投稿でさえ、誰かを傷つけてしまい、僕が殺人犯になる危険性だってある(タイトルを回収しつつ、傷つけた方にごめんなさい)。
ネット上の真偽不確かな情報だけで、会ったこともない誰かを有罪だと疑わず、私刑する。
そんな風に人を間違った方向へ突き動かしてしまうものは何だろう。
好奇心か、ただの娯楽か、日頃のうっぷん解消か…
これらはぜんぶ正解だろう。
でも、一番大きいのは、正義感だと思う。
自分のやっていることは正義だと信じ、悪をやっつける。
悪をやっつける正義のヒーロー。
子どもたち憧れの眩しい存在だ。
もちろん僕も子どものころ憧れたし、最近だってウルトラマンセブンの放送をワクワクしながら観ている。シン・ウルトラマンの公開も楽しみだ。
ただ、大人になった今、強く感じるのは、この世に絶対的な正義なんてないこと。
-絶対的な正義がない世界-
絶望的な世界のように聞こえるかもしれない。
けど、同時にここは「絶対的な悪がない世界」でもある。
やっつけるべき相手なんて本当は、存在しないと思うのだ。
6歳当時、正義のヒーロー『電撃戦士キックマン』が好きだった、事故現場にいた幸太くん。
この小説の終わりで彼は大きな成長をとげる。
是非、その瞬間まで読み進めてほしい。
SNS時代を生きる僕らに必要なのは、幸太くんのような成長だと思うから。