
言語化の対象をギュッと視る *追記あり
言語化する対象って、当然自分の内にも外にもあるんだけども、とりあえず内側のことを言語化する時のことを書いてみます!
私にとっての"内側にあること"って、自分の中に透明の球体が存在していて、その球体の中のどこかにある感じ。
「自分の今のこの感じ」が、その球体のどの辺の緯度、経度、そして深度(透明だからね、球体の表面だけじゃなくて、深度もある)で位置を捉えていくような作業をしている感じがします。
色んな角度のレーダーを内側に照射して、位置と、そこにある質感を見定めていく感じ。そしてそこに一番しっくり言葉がふわり、と乗ってくる。
そもそも言語/言葉って、自己と他者があって、異なる個体同士で何かの概念を共有する必要があって発達してきたニンゲンのツール。(動物にも、ニンゲンには認識できない言語のようなツールがあるのかも知れないけど。)たったひとり、しかこの世に存在しなかったら(いや、そんなことはあり得ないんだけど)発達しようのないツールなんだろうな。
はいっ!!脱線してる!www
言いたかったのは、言葉、ってものすごい数のニンゲンがその意味、指すところをほぼほぼ同じく共有している、ゆえにそれこそ全てのニュアンスや質感は言語化が間に合わないくらいの無意識レベルで捉えているキャッチしているところ、をも包含してしまっている、ので、辞書で意味を引かなくても、ある日突然その意味が自分にダウンロードされて、その語の指すところ、自分の中にある透明の球体内のどのあたりを指すか、っていうのがヒュッと分かる時、ないですか。。?
受験の時にはなかなか覚えられなくて、普段使うことのない英単語 conquer が「征服する」っていうのが、急に脳内にヒュッと降りてきたことがありました。それもわりと大人になって会社内を歩いていた時w ほんとにそんな意味だっけ?と辞書を引くと、、、合ってた。。。全くそんなワードも話題も触れてなかったのにw 不思議でしたw
あ、あと、子供の頃にお腹が痛くて、お母さんだったかお医者さんに「どんな風に痛いの?ズーンとする感じ?キリキリする?」とか聞かれて、それ、わしとお前の間に共通理解が生まれる日は来るんか?とほぼ絶望したものですwww だって、私の痛みは私の痛みでしかなくて、他の人に言葉で伝えたところで、確実に伝えるほうほうってあります?www 私が「あ、これはキリキリって感じ!」って思っても、あなたは「ブゲラブゲラっぽいな」って思うかも知れないじゃないですか!!!www けどある日またお腹が痛くなった時に「はいはいはいはい、これね、これが大人が言うところのキリキリね。多分そう。」と確信したことがあるし、あの日以来私は、あのお腹の痛みの感じを「キリキリ」と呼び、他者と共有しています。(しかし、ほんとのほんとのほんとに同じかどうかは、絶対誰も知り得ないところだがな!(世界は愉快!))
そういう突然の理解、ってこう自分でコントロールできない無意識の領域で起きているものなんだと思っていて、それはもう自分の中の何かが勝手に起こしていってくれること、なので、自分が制御しうる範囲の意識やなんかであれやこれをどうにかしよう、って、てんで無理な話なんだなー、とこう年を取った分、この地球上でニンゲンという質からの認識をもって起きる事象を見聞きしていく中で、実感を持って、ほんとうだな〜、とぼーっと思ったりする日々です。
ぎゃあああああ!最初に書こうと思ってたところと全然違う着地点になっちゃったじゃんwww それは無意識のところもあるかもだけど、私の注意力散漫っぷりのなせる技でありますw
ということで、言語化するにあたって、自分の中での感じ、を静かに、それこそデッサンを行うように、緻密に視る、というところから始まるなあ、という話ですwww (あかんw 集中力切れたwww
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