介護士として。
私が介護士になるきっかけは
やることがなかったから。
高校時代、年間120日ほどをさぼっていた私は就職活動の時期に20件ほど面接したものをすべて落とされました。
人当たりや面接などの場面では強いと思っていたので本当に謎で、当時の調子に乗っていた私は「落とした奴らはくそ」なんか考えていましたね。
最終的に土木・建築関係の会社に入ったはいいものの、まぁつまらないし直近の先輩は悪い意味で愉快な方だったので
1週間で辞めました。藁←これ懐かしい。
それから1か月友人の会社までの足をしながらめしをおごってもらうという寄生虫期間が始まります。
彼は介護士として働いており、高校時代も福祉類型を専攻している生粋の介護マン(ヘルプマン)。肩書だけでしたけど。
中身はくそもくそ野郎です。いまだに仲良くさせていただいており、いまだに介護をしっかりと続けています。私とほぼ同じ歴なので10年選手ですね。
1か月間「寄生虫(足)」としてだらだらした私に、看護師である母が
「介護の仕事やってみなよ」
と突然提案してきます。どうやら母の知り合いが介護施設で働いていると。
まぁ働かなきゃ仕方ないので面接へ。
なんと私を足にしていた友人が働いているではありませんか。
ナス(友人のあだ名)「はっ?、お前介護はだめだろ!しかも同じ会社に!」私「まぁ落ち着き給えワトソン君、働かなければ仕方がないのだよ」
等のやり取りを見学中にしたのを覚えています。
即日で面接に合格し、翌日から来てくれと言われ1週間待ってといった当時の私は本当にどうしようもない怠惰野郎でした。
そこから3年間、介護福祉士の資格と取るまで従事し、当時彼女であった今の妻と結婚するからと上京するのですが
まぁ若かった!
夜勤明けでヒトカラに行き夜8時までとか毎夜勤やってましたからね。寝ないまま3日ほど友人とゲームをやり続けそのまま会社に行くこともざらでした。今考えれば頭おかしいし、壊れなかった体もおかしい。
実家はそうでもないけど母方の家は自営業で金があったので、給料が安くても金には困りませんでした。そういう状況が26歳ぐらいまでの「クソゴミ野郎」な私を作っていたのかもしれません。
今は目標があり、愛する妻・子供がいます。
現在の会社にも恩を返したい人がいますがたぶん1年以内にやめるでしょう。早ければ今年中にも。
インスタグラムでさんざん言っていますが
私は妻・子供と尊敬しあえる関係になりたい。
今はそうじゃないんですよ、妻がはっきり言いますから「別に総合的に見たら尊敬はしていない」と。
とにかく18~26歳までの私は惰性で「介護」という仕事に向き合ってきませんでした。
上京してから一番最初の会社で自身の価値観や仕事観が変わり始め27歳の年に自分の安っぽいプライドがすべて砕け散ることがなければ未だにクソゴミ野郎のままだったことでしょう。
それでも少しづつ変わることができているのは家族のおかげであり
私のプライドを打ち崩した妻であり、会社の上司であり。
すごく良い環境に恵まれ始めています。というか気が付こうとしていなかったんだと思います。
自分の弱さ、自分の愚かさに。
そこに気が付き、変化しようとしただけ良いとしてください。
唐突に終わります
ちなみに上記の就職活動の落選オンパレードは当時の就職指導の先生が面接先に落としてやってくれと連絡しまくっていたからです。
先生本人と面接先の方に教わりました。
今思えばすごくありがたくすごく勇気のいる行動なのかなって思います。
ありがとう原木。
妻の副業
今日も商品がめちゃめちゃ届きました。
佐川のおっちゃんとうちの犬は仲良しになっています。
また明日。明日も関連する詳細を書きます、暇つぶしにどうぞ。