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【随想】葛西善蔵『蠢く者』


自分はあの窪地のごみ/\した通りを歩いていた父の姿を思い出す。そして自分の姿を顧みる。だが散歩と云うことも、日課とするべく何と云う億劫な、面白味のない退屈な仕事だろう。父にもそうだったに違いないのだ。だが、父は長生きしたいと思ってそれを続けたのだろうが、俺もやはり、それなんか知ら? 同じ退屈するなら、やはり蒲団の中にもぐり込んでいるか、地震で柱の歪んだ部屋の黄色い壁――附鴨居の下の天井下の小壁などにひどいひゞを見せた壁に向って、煙草の煙でも吹いていた方が、まだしもましじゃないか知ら?

葛西善蔵『蠢く者』(短編集『哀しき父|椎の若葉』)講談社,1994

 今朝妻の手紙を読んだ時には左程にも強く感じなかった玉子と云う言葉が、斯う怒鳴り続けているうち、酔払った頭の中にふと閃くように喚びかえされた。自分は一寸眼を瞑って、払い退けたい気持から、頭を激しく振って見た。あの九月一日の地震当時の思い出――鬼門々々、あれが一切の破壊者だったのだ。「だが玉子? 玉子がどうしたと云うんだったっけな? ……あ、そうか、俺はその玉子で生命を助かったと云う訳なんだ」と、はっきり考え浮んだ。

同上

「生きてる! みんな生きてるぞ!」自分も思わず大きな声で叫んだ。その時のおせいの顔を、自分は忘れることが出来ない。落ちて畳の上を流れた玉子と、おせいの真剣な泣き顔――その印象が、恐らく一等強く自分の頭に焼きつけられているかも知れない。自分はそれまでは毎食に一つは生玉子を飲むことを欠かさなかったのだが、東京へ出て来て、生玉子を飲むと屹度下痢をするので、以来は絶対に生では用いないことにして来た。自分の健康があの時以来ひどく損じられ、胃腸の弱った為めには違いないが、同時に自分の弱い神経が極度に傷つけられ、脅え、その為め斯うした病的な生理作用を来たしているのではないかとも、考えている。

同上

 今や春の虫の方が世界に期待されている。 

 真白な風雪に晒され続け肌は乾き果てた。瞼は凍り尽きて砂丘に憧れた。霊魂を潤すべき涙も、今や月の裏に行ってしまった。ここに残ったのは重い心臓だけ。空転を続ける思考。死んだことはない筈だから恐らく生きている筈だが、それとて信頼できる根拠もない。依拠すべき自信はこよりのように捻れて細く空間の隙間に納まっている。ここに残ったのは窮屈な心臓だけ。深閑響く森の奥、許されざる人間が許しを乞う。世界に許しを乞う。

 生まれたから生きてしまいました
 死ぬまでは生きるでしょう
 詫びる言葉もございません

 サヨナラ一つ出てこない。立ち尽くしたまま唯ぼんやりと霧雨に濡れていく。乾いた肌のひび割れをH2Oが滑り落ちる。

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Junigatsu Yota
素晴らしいことです素晴らしいことです

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