【随想】葛西善蔵『湖畔手記』
肉体が衰弱するにつれ、少なくともそれと同等以上の速度で精神がやつれていく。この感覚はきっと正しい。人の心は肉体と離れがたく、どうしたって連動せざるを得ない。世間では、魂は肉の傷痍に汚されることのない、誇り高き独立であるかのように喧伝されているが、それは間違いである。精神と身体は一体である。もっと云えば、同一である。精神活動とは肉体活動の一側面であり、生理現象でもある。思考は自由な意思によって為される無限の可能性ではなく、周囲の環境と肉体的生理的状況によって可能性が限定された中で必然的に導かれる唯の反射反応でしかない。ラプラスの魔など想定するまでもなく、不確定原理に夢を保証させるまでもなく、なるべくしてなったもの、宇宙の誕生日に交わされた約束が律儀に果たされたものでしかないのである。そうした謂わば生命世界の根本原理を直覚してしまった人間は、決まって頽廃する。無気力、無欲。しかし肉体はあくまで形を維持しようとする。無感動と生命の継続は矛盾なく両立する。つまり単なる生命維持活動それそのものは夢や希望を生まない、と云うより夢や希望と関係が無い。欲しがれません、死の他は。何故いつも死を想う、死を願う、死に憧れる。死神に気付かれないよう背後に廻りこめるかどうかのチキンレース。本当は気付いて欲しいのか。それが唯一の願いか。あらゆる全ては一分の隙無く無意味であるという確信! それでもまだ、生きるのか。
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