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【随想】葛西善蔵『贋物』

 彼は、忽ちこのあばらやの新生活に有頂天だったのである。そして頻りに生命とか、人類の運命とか、神とか愛とか云うことを考えようとした。それが彼の醜悪と屈辱の過去の記憶を、浄化するであろうと、彼は信じたのであった。彼は自分のことを、「空想と現実との惨ましき戦いをたゝかう勇士ではあるまいか」と、思ったりした。そして今や現実の世界を遠く脚下に征服して、おもむろに宇宙人生の大理法、恒久不変の真理を冥想することの出来る新生活が始ったのだと、思わない訳に行かないのであった。

葛西善蔵『贋物』(短編集『贋物|父の葬式』)講談社,2012

 下の谷間に朝霧が漂うて、アカシアがまだ対の葉を俯せて睡っている、――そうした朝早く、不眠に悩まされた彼は、早起きの子供等を伴れて、小さなのは褞袍の中に負ぶって、前の杉山の下で山笹の筍など抜いて遊んでいる。
「お早うごいす
 暗い中に朝飯を食ってそれ/\働きに行く村のおやじ共が声をかけて行く。それがまた真面目で、健康で、生活とか人生とか云うことの意味を深く弁えて居る哲人のようにも、彼には思われたりした。そしてこの春福島駅で小僧を救った――時の感想が胸に繰返された。
「そうだ! 田舎へ帰るとあゝした事件や、あゝした憫れな人々も沢山居るだろう。そうした処にも自分の歩むべき新しい道がある……」
 併しその救いを要する憫れな人と云うのは、結局自分自身に過ぎなかったことに気が附いて、さすがに皮肉を感じない訳に行かないのであった。

同上

 予算通りの価格に売れると、叔父はその中から二三百円だけ取って、あと全部惣治の儲かるまで貸して置くと云う好条件であった。叔父はその金で娯楽半分の養鶏をやると云うのであった。……叔父は先年ある事業に関係して祖先の遺産を失ってからは、後に残った書画骨董類を売喰いして凌いでいるのであった。
「何しろこんないゝ話ってない。神様がお前を救って呉れたんだろう」
 耕吉は叔父の厚意に感激して、酔って涙ぐましい眼附をして云った。そして初めて弟に一臂の力を仮すことの出来る機会の来たことを悦んで、希望に満ち/\て翌朝東京へ発った。

同上

「何しろ困りましたですなあ。併しそう云う御事情で出京なさったと云うことでもあり、それにS君の御手紙にも露骨に云えという注文ですから申上げますが、まあ殆どと云いたいですね。迚もあなたの御希望のような訳には行かんと思いますがね。露骨なところを申上げれば、私には全部売払ったとしても精々往復の費用が出るかどうかと云う程度だろうと思いますがね、……これでは何分にも少しひどい」
 如何に何でも奥州下んだりから商売の資本を作るつもりで、これだけの代物を提げて来たと云う耕吉の顔附を、見直さずにはいられないと云った風で、先生はハキ/\した調子で云った。

同上

 生きていれば、人は汚れが溜まる。溜まった垢が自然に剝がれるように、溜まった小便は出さずには居られないように、生活もまた、時々綺麗さっぱり真っ新にしたくなる。人間関係の膿、絨毯の染み、隣人への不満、見飽きた町、変わり映えしない仕事、それら全てが鬱陶しくてたまらなくなる。単純で清純な生き方に憧れて、服を捨てる、本を捨てる、食器を捨てる、家具を捨てる。何かを捨てると何かが変わるような気がするし、身軽になるのは確かに心地良いものだ。だがその快感も、所詮は新たな欲望の種になるだけだ。汚れはいくら落としても、時の経過とともにまた汚れていく。どれだけ物を捨てようと、どれだけ人との会話を減らそうと、思考が単純化することはないし、生活が清純になることもない。どうしたって他人とは関わらざるを得ないし、関われば心は苛立ち、不安と不満で汚れていく。犬や猫が何をしていようと、気に病むことはないのに、人間は、たとえ無関係な赤の他人でさえ、その振る舞いが心に食い込んでくる。人間は、人間を無視出来ない。人生は、やり直せない。生きている限り、それは連続しているし、過去が消えることも、未来が来ないこともない。今という現実は、縦軸を離れることはない。ニューゲームなどないから、古びていく世界を、受容する他ない。昨日食べたものを忘れ、明日食べるものなど考えず、今この空腹を満たす為だけに、生きる。そんな生き方が、きっと理想なのだが、思考が、脳が、心が、それを許さない。ああ、全て忘れたい。何も知りたくない、二度と。

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Junigatsu Yota
素晴らしいことです素晴らしいことです

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