生きていれば、人は汚れが溜まる。溜まった垢が自然に剝がれるように、溜まった小便は出さずには居られないように、生活もまた、時々綺麗さっぱり真っ新にしたくなる。人間関係の膿、絨毯の染み、隣人への不満、見飽きた町、変わり映えしない仕事、それら全てが鬱陶しくてたまらなくなる。単純で清純な生き方に憧れて、服を捨てる、本を捨てる、食器を捨てる、家具を捨てる。何かを捨てると何かが変わるような気がするし、身軽になるのは確かに心地良いものだ。だがその快感も、所詮は新たな欲望の種になるだけだ。汚れはいくら落としても、時の経過とともにまた汚れていく。どれだけ物を捨てようと、どれだけ人との会話を減らそうと、思考が単純化することはないし、生活が清純になることもない。どうしたって他人とは関わらざるを得ないし、関われば心は苛立ち、不安と不満で汚れていく。犬や猫が何をしていようと、気に病むことはないのに、人間は、たとえ無関係な赤の他人でさえ、その振る舞いが心に食い込んでくる。人間は、人間を無視出来ない。人生は、やり直せない。生きている限り、それは連続しているし、過去が消えることも、未来が来ないこともない。今という現実は、縦軸を離れることはない。ニューゲームなどないから、古びていく世界を、受容する他ない。昨日食べたものを忘れ、明日食べるものなど考えず、今この空腹を満たす為だけに、生きる。そんな生き方が、きっと理想なのだが、思考が、脳が、心が、それを許さない。ああ、全て忘れたい。何も知りたくない、二度と。