【随想】芥川龍之介『西方の人』②
誰よりも母を愛する者は、同時に誰よりも母を憎んでいる。母が魂の中から消えない限り、この世界の真理には決して辿り着けないからである。母は世界の根源にして、世界を覆う暗幕である。あらゆる人は自由を希求する。それなのに、大抵は目の前にした自由に恐怖を感じ、自ら足枷を嵌めてしまう。それは愛や憎悪や夢や希望という形をとる。凡夫はどこまでもいっても本当の意味で孤独にはなれない。愛や夢ばかり見て、自分自身から目を背け続けて生きる。彼らに意志は無い。ただひたすらに時を消費し、いつか誰かに裁かれるのを待つのみである。華やかな偽りの世界に身を埋め、無意味と知りながら社会的成功を追求する。何も知らない。彼らは何も知ることはない。死ぬまで、そして死んでからも。知らない彼らは死んだら終わりである。知っている彼には、死は一つの通過点に過ぎない。天国とは何か。天国は何処にあるのか。知らない彼らは知らないし、知ることはない。知っている彼は知っているし、いずれ知ることになる。現象された世界ではなく、世界が発生する前の根源世界に生きる彼にとって、受肉し物質化されていた時間など、取るに足らない一瞬間でしかないのである。それでも彼は、母に囚われた平凡な人々を導こうとした。彼の知る世界に連れて行こうとした。ところがそんな彼の思いは、無能な後世によって単なる処世術に変えられてしまったのだった。
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