見出し画像

【随想】葛西善蔵『遊動円木』

実際驚異すべき鮮かさである。私には単にそれが女学校などで遊戯として習得した以上に、何か特別に習練を積んだものではないかと思われたほどに、それほど見事なものであった。Tもさすがに呆気に取られたさまで、ぼんやり見やっていたが、敗けん気を出して浪子夫人のあとから鎖につかまって乗り出して見たが二足と先きへは進めなかった。忽ち振り飛ばされるのである。が彼は躍起となって、その大きな身体を泳ぐような格好して、飛び附いては振り飛ばされ、飛び附いては振り飛ばされながらも、勝ち誇った態度の浪子夫人に敗けないと意気込んだ。
「梅坊主! 梅坊主」
 私は斯う心の中に繰返して笑いをこらえていたが、ふっと笑えないようなある感じがはいって来て、私の心が暗くなった。
「禅骨! 禅骨!」
 私は今度は斯う口へ出して、ほめそやすように冗談らしく彼に声をかけたが、しかし私の心はやはり明るくならなかった。私たち見たいな人間に共通したある淋しい姿を見せられた気がして、――それは恋人にも妻にも理解さすることの出来ないような。……

葛西善蔵『遊動円木』(短編集『哀しき父|椎の若葉』)講談社,1994

 とりとめのない思考……、流れる、泳ぐ、僅かな息継ぎで、薄目を開けながら……。

「仲間。同じことをして、同じことを楽しんで、同じことで笑う人達を、仲間と言うのなら、おままごとも、スポーツも、演劇も、音楽も、政治も、農業も、この世界の全部が全部、同じことをして、同じことを楽しんで、同じことで笑い、怒り、泣く、仲間だ」

 そんな世界で、孤独になりたければ、どうすればいい、どうすれば、仲間から逃げられるんだ、どうすれば、仲間を忘れられるんだ、仲間の居ない、仲間を見ることも、考えることもない、孤独になりたい、なりたくて、孤独を知りたい、知りたくて、何もかも、初めからやりたいのに、仲間が居るんだ、仲間が邪魔になるんだ、仲間を必要としてしまう自分が、もどかしいんだ、苦しいんだ、ゼロにしようとする度に、消去しようとする度に、何もかも新しくしようと決意するその度に、仲間が増えて、複雑で、つまらない生活が、始まって、留守を任せて、留守を任されて、この意識は、他者を認識せざるを得なくて、他者なくしては、何も思考出来なくて、どうすれば、どうすれば独りになれる、どうすれば自分を忘れられる、頭の中に何かいる、常に何かを喚き続ける何かがいる、仲間だ、中にいる魔だ、虜り憑いて離れない、何処から来て、何処へ行く、見ろ、見る者を見ろ、狂っていく、狂っている、正常とは何だ、正常たれ、諦めて、思考を病めて、正常たれ、仲間になれよ、一つになれよ、もうやめろよ、溶けろ、落ちろ、流れろ、生まれるな。

 それは勿論演じています。何かを演じなければ、一体どうして思考することが出来ますか。何もかも模倣です。オリジナルな模倣です。

いいなと思ったら応援しよう!

Junigatsu Yota
素晴らしいことです素晴らしいことです

この記事が参加している募集