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【随想】葛西善蔵『酔狂者の独白』

自分は、おかしな言い方をするようだが、また出鱈目ばかし言って居るのだから、ことわりめいたようなことを言う必要はないのだが、実際、自分は、自分の才能、健康、――そういったものでは、決して恵まれない人間だと思ったことはない。むしろ、自信を以って居るほうだ。

葛西善蔵『酔狂者の独白』(短編集『哀しき父|椎の若葉』)講談社,1994

俺は、何よりも自分の気違いになることを恐れている。それは、抵抗しがたいものである。例えば、監獄所があるように気狂病院がある。同じように精神的な欠陥から来ているものと看ていゝと思う。だが、それにしても、自分の頭脳のだん/\錯乱しかけて行くのを看ているのは、寂しい気のものだ。

同上

自分はその人達と同じように、死ぬであろう。――死ぬであろうというような気持ちから、一二年前からは、たゞ/\、遺言――何んという滑稽なことだ。俺が、遺言といったところで、何の意味があるか。俺は、稍〻、絶望的な言葉で書いているといったことが、そんな意味に伝わったのだろう。言葉は同じようであるが、意味は違う。

同上

自分は、むしろ、第二の喀血に襲われて、頓死的な死に方が出来たとしたら、自分だけとしては、幸福だと思うのであるが、気狂いとして、それも正当に気狂いとして理解されない幾年かの生活、病勢がすゝんで、全然の気狂いとしての醜骸を、世の中に晒す――それも考えようによっては、孰らでもいゝとさえ思われることがある、どちらにしたところで、大したことではないじゃないか。完全に自分を失うことと、緩慢に、徐々に、自己を失って行くというだけの異いに過ぎないではないか。お前の場合では、そこの差別なんか、それ程重大なものじゃないよ――斯う自分は、自分に言っても見るんだったが、それにしても、兎に角に、自分は気狂いは怖いんだ。

同上

 勝手に意識を与えられ、生きることを強制され、死を約束され、苦しみと悲しみばかり記憶させられて、我々はどうやら存在しているし、存在しなければならない。謂わば人生という呪いの契約を、先天的に結んだ状態で、時の流れという連続性を体験し続ける、生命、とりわけ、人間とは何だ。酔狂と云えば、生活の全てが、意識の全てが、酔っぱらいの妄言と、何ら変わることはない。時々、何もかもが夢なんじゃないかと、夢を見ることがある。時々、何もかもが妄想なんじゃないかと、怖くなることがある。存分に酩酊し、思考が大胆に短絡している時、世界の本質を直観している自分がいる。全てを理解してしまった自分は、翌日の朝には消えている。一体どちらの自分が、まともだというのか。誰もが、意識の深層に、所謂狂人が居る。遺伝子が見ている世界を、見ることができる者を、狂人と云うのならば。溶解した曽て生命だったものと、気化した曽て生命だったもので、内臓が圧迫されて不愉快な気分に満たされる。全てを放出したくなる。生命活動に必要な最低限のものだけ残して、全てを自分という意識で繋がった細胞達と、区分したくなる。そんな時は、狂人は現れない。優先されるのは、潜水よりも、放出。採掘よりも、放出。放出は、あらゆる欲求に優先されるらしい。
 吐き出した二酸化炭素が、巡り巡って戻ってくる。二酸化炭素を吸って、酸素を吐く、そんな酔狂者が居るか、それこそ酔狂者か。七色の世界は、ケロシンの匂い。燃えた燃えた。現実だか妄想だか分からない何かが、燃えた燃えた。ここが意識の深層か、真っ黒な液体で満ちた部屋、きっとよく燃えるだろう。
 或る朝、或いは或る夕、目が覚める。赤い空。目で見る世界は、段々と蒼くなっていく。酔っているのか、いないのか、最早判別する術はない。

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Junigatsu Yota
素晴らしいことです素晴らしいことです

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