【随想】葛西善蔵『酔狂者の独白』
勝手に意識を与えられ、生きることを強制され、死を約束され、苦しみと悲しみばかり記憶させられて、我々はどうやら存在しているし、存在しなければならない。謂わば人生という呪いの契約を、先天的に結んだ状態で、時の流れという連続性を体験し続ける、生命、とりわけ、人間とは何だ。酔狂と云えば、生活の全てが、意識の全てが、酔っぱらいの妄言と、何ら変わることはない。時々、何もかもが夢なんじゃないかと、夢を見ることがある。時々、何もかもが妄想なんじゃないかと、怖くなることがある。存分に酩酊し、思考が大胆に短絡している時、世界の本質を直観している自分がいる。全てを理解してしまった自分は、翌日の朝には消えている。一体どちらの自分が、まともだというのか。誰もが、意識の深層に、所謂狂人が居る。遺伝子が見ている世界を、見ることができる者を、狂人と云うのならば。溶解した曽て生命だったものと、気化した曽て生命だったもので、内臓が圧迫されて不愉快な気分に満たされる。全てを放出したくなる。生命活動に必要な最低限のものだけ残して、全てを自分という意識で繋がった細胞達と、区分したくなる。そんな時は、狂人は現れない。優先されるのは、潜水よりも、放出。採掘よりも、放出。放出は、あらゆる欲求に優先されるらしい。
吐き出した二酸化炭素が、巡り巡って戻ってくる。二酸化炭素を吸って、酸素を吐く、そんな酔狂者が居るか、それこそ酔狂者か。七色の世界は、ケロシンの匂い。燃えた燃えた。現実だか妄想だか分からない何かが、燃えた燃えた。ここが意識の深層か、真っ黒な液体で満ちた部屋、きっとよく燃えるだろう。
或る朝、或いは或る夕、目が覚める。赤い空。目で見る世界は、段々と蒼くなっていく。酔っているのか、いないのか、最早判別する術はない。
いいなと思ったら応援しよう!
素晴らしいことです素晴らしいことです