“答え”は出ている。信じたもの、信じるしかないもの、それが唯一の答えだ。唯一の答えには従わねばならない。笑われようと、不利益であろうと。矛盾するようだが、答えは真実とイコールではないし、正解か不正解かは関係ない。“答え”とは、道ばたの石ころをダイヤだと呼ぶ勇気である。自分の目玉を客観視する想像力である。風に宇宙の傾きを感じる愚かさである。私は扇風機に向かって叫ぶ。お前は回転するモーターだ。私が回り続けるように、お前も回転し続けるがいい。いつか私達のカルーセルを、楽しむ誰かが現れるだろう。
これが“答え”だ。つまり、無意味な何かを信じる覚悟、語るべきでない何かを語る認識のチキンレース。それができるか、どうか。“答え”は分岐する。いつだって、不定形。答えがないという、答え。君の眼は今、回っている。