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『Still wakes the deep』と、ウォーキングシミュレーターの「限界」

わたしは普段執筆している批評のなかで、特定のゲームを否定する、こき下ろすということはあまり積極的にしていない。

これには(恐らく世間で考えられる理由とは別に)理由があるのだけど、それはさておき、わたしにとって興味があるのはそのゲームを褒める・けなす、またそれによってソーシャル・メディアの派閥争いに加担することではなく、「〈なぜ〉そのゲームが好ましいのか、あるいは好ましくないのか」という作品そのものの価値にある。

だからこそ、今あえて取り組みたいのが、2024年の中でわたしがあまり好ましいと思えなかったゲームの批評である。繰り返すように、ただ作品をこき下ろすことには意味がない。しかし、ただ作品の好意的な面だけを検討するのでなく、課題や問題について検討することによってもゲームの美について考えられるだろう。


今回、そんな連載特集の一つとして取り上げたいのが、『Still wakes the deep』と、ウォーキングシミュレーターというジャンルだ。

『Still wakes the deep』はイギリスのインディーゲームスタジオ「The Chinese Room」の最新作であり、1970年代の北海にある石油リグで、突如として発生した何者かによる襲撃から生き延びる一人称ホラーゲームだ。Steamレビュー数は4700を超えており、インディーゲームの中では比較的有名な部類と言える作品だ。ところで、日本では翻訳の質への批判によって知られるところとなったが、今回その問題については扱わない。

では今回取り上げたい問題とは何か。それは『Still wakes the deep』のホラーゲームとしての凡庸さと、その裏にあったThe Chinese Room本来のアイデンティティ、そしてそれを失ったしまったウォーキングシミュレーターというジャンルそのものが抱えるとある大きな欠点にある。



ウォーキングシミュレーターを拓いた、The Chinese Room

さて、まずThe Chinese Roomというスタジオについて、読者はどの程度知っているだろうか。このスタジオは決して大規模なスタジオではないものの、あるゲームジャンルを好む人の間ではよく知られている。

そのジャンルとは、ずばりウォーキングシミュレーター。The Chinese Roomは2008年、『Half-Life 2』のMODとして『Dear Esther』という作品をリリースするが、「一切武器や敵が出てこず、ただ歩くだけ」「代わりに独創的な世界を旅し、難解なテキストを読む」という内容から好評を博し、ウォーキングシミュレーターを一躍世界に広めた功績がある。

そんな彼らが手掛ける『Still wakes the deep』は、ファンに長らく待望されてきた最新作だった。しかしながら、意外にもそのジャンルは一人称視点のホラーゲーム。今までのようなウォーキングシミュレーターとは似て非なるものだった。


さてThe Chinese Roomの新たな挑戦となった『Still wakes the deep』は果たして成功したのか?結論から言えば、少なくとも筆者からみるとあまりうまくいかなかったように感じる。

まず、ウォーキングシミュレーターからホラーゲームへ転向したということ自体、全く問題ではない。個人的にはどちらも好みのジャンルであり、だからこそTCRがウォーキングシムで培ったノウハウやアイデンティティをどうホラーとして昇華するのか期待していた。しかし現実的には『Still wakes the deep』は凡庸なものになってしまった。

ではそもそも、The Chinese Roomがウォーキングシミュレーターを通じて培った強みとは何かと言えば、それは独創的な世界観と脚本だったと思う。

彼らの最初の作品『Dear Esther』はスコットランド周辺を思わせる荒涼とした北海の風景が斬新であったし、そこで紡がれるエスターなる女性へ向けられた独白は一人称ならではの実存主義的なアプローチを貫徹している。

『Dear Esther』

次に手掛けた『Everybody's Gone to the Rapture』は緑豊かなウェールズの美しい光景に対し、神学と分析心理学をまぜこぜにした(日本のゼロ年代っぽい)SFストーリーという深慮を見せてきた。どちらの作品も世界観は洗練されており、脚本にも近代文学的な教養が垣間見られた点が評価されていた。

『Everybody's Gone to the Rapture』

言い換えると、一言に「ウォーキングシミュレーター」といっても、実はスタジオごとにアプローチは大きく異なる。The Chinese Roomの場合は、ブリテンのネイティブな風景と独創的な語り口の物語こそが主流だったが、『What Remains of Edith Finch』のGiant Sparrowは文学におけるマジックレアリズム的な手法を前衛化させた演出や、あるいは『The Stanley Parable』のようにユーモアとメタフィクションに振り切ったGalactic Cafeという事例もある。

『What Remains of Edith Finch』

だからこそ、仮に異なるジャンルであってもThe Chinese Roomならではの強みを生かすことができれば、それはむしろ好ましいものだった。ところが、『Still wakes the deep』はまさにそのTCRらしさとでも呼ぶべき魅力がおおよそ失われているという点が、問題となってくるのである。


『Still wakes the deep』の凡庸な恐怖

では具体的に『Still wakes the deep』の凡庸さとは、何なのか。

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