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『Kingdom Come: Deliverance 2』批評 チェコの鬼才、ダニエル・ヴァーヴラが「1403年」にこだわった理由
『Kingdom Come: Deliverance 2』は前作ともども、傑作である。しかし、その傑作たる所以を説明するのは、他のどの傑作よりも難しい。
何故か。それはひとえに、本作が虚飾なくチェコという国家、民族、土地に根付いた諸々をビデオゲームにしていること、端的に言えば「史実を追体験することに特化したビデオゲーム」だからである。
『KCD2』が舞台とするのは、15世紀におけるボヘミア王国。この世界で表現される多くは、何もかもチェコ的なものであり、歴史考証やロケハンにもぬかりはない。多少の誇張や虚構があっても、魔法やドラゴンのようなファンタジー性が介在することはなく、あくまでチェコに生きる一人の若者の人生を徹頭徹尾、体験させる。
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実はこのようなビデオゲームは多くない。確かに現実的な世界観を持つゲームはあるにはあるが、その中でも『Grand Theft Auto』シリーズがニューヨークを舞台にしながらプレイヤーに荒唐無稽な犯罪をやらせる諧謔をしのばせておくように。『Ghost of Tsushima』が中世日本を舞台にしながら黄葉みだれる印象的な世界で意表をつくように。ビデオゲームはそれにふさわしい「嘘」を盛り込み、それを楽しむのであって、いくらそれが現実を参照しているかのように思わせようとも、むしろその真実性が破壊される瞬間に快楽が眠っている。
だから『KCD2』のような作品は、現代の大作としては、ふつう成立しない。開発者側にとてつもない歴史的・宗教的知識が要求されることもさることながら、何より、大企業が弾き出すマーケティング観では、この発想はちょっと生まれない。まして、人口たった1000万人ちょっとのチェコを舞台にしたゲーム──つまり大半のユーザーが自分とは縁もゆかりも無い国を仔細に再現したゲームを買うことを前提にしているのである。こんな大変な計画は、とてつもない意志と教養がなければ実現しえない。
一体、どんな才人ならこんな計画を思いつくのか。
結論から言おう。この狂気的な作品を2度も完遂させた人間とは、チェコに生きる伝説的なゲームデザイナー、ダニエル・ヴァーヴラ(Daniel Vávra)その人である。実は、わたしは長らく尊敬するゲームデザイナーの一人にヴァーヴラがいた。彼の偉業は日本における宮崎英高や上田文人、小島秀夫に匹敵するか、それ以上のものであるにもかかわらず、日本ではほとんどその名前を知られていない。
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そこで今回は、このダニエル・ヴァーヴラという鬼才の半生を振り返りながら、『Kingdom Come: Deliverance』における「史実を追体験する」ということがビデオゲームにとってどのように意義があるのか、その中でも本作があえて選んだ「1403年」という時代をその前後におけるチェコ史から相対化しながら、2025年におけるGOTY候補の一つ『Kingdom Come: Deliverance』について今回批評したいと思う。
ヴァーヴラの半生
ダニエル・ヴァーヴラは1975年、当時まだソビエト連邦の影響下にあったチェコスロバキアのリフノフ・ナト・クニェジュノウに生まれる。リフノフ・ナト・クニェジュノウはチェコの中でも二大都市であるプラハとブルノのちょうど中間に位置する閑静な田舎町で、中世から残る家々に囲まれて絵画、写真、執筆といった娯楽に没頭していた。後にトゥルノフで応用芸術を学ぶのだが、そのときチェコを(というか世界を)揺るがす大事件がおきる。
ビロード革命である。
プラハの学生たちを中心に始まった反体制派によるデモは、やがて全チェコ市民の75%が参加するゼネストへ発展。ついにソ連の実質的支配下にあった共産党政権が崩壊し、チェコ人は1968年に彼ら彼女らが勝ち取った「春」を取り戻す。そうしてすぐに、チェコの人々は砂漠をさまよいつづけた人が水を飲み干すかのように、欧米から多種多様な文化を摂取しながら、同時に欧米に挑戦しようという人々も生まれた。
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その一つがプラハにできて間もないゲーム企業、illusion softworks(以下、IS)であり、ヴァーヴラもそこに合流する。
ヴァーヴラは、このまったく新しいビデオゲームという文化に対して、驚くほどの才能を発揮していった。初仕事『Hidden & Dangerous』での職務を首尾よくこなすと、その翌年にはもう最新プロジェクトのディレクター兼脚本家として抜擢。そこで彼が取り掛かったのが、後にチェコはおろか西欧社会にさえその名を轟かせることになった名作『Mafia』だった。
さて、この『Mafia』についてはいくらでも語りたいほど傑作であるし、こちらもゲーム史において負けず劣らず重大な作品であるが、本題から外れてしまうから一度置いておく。(実はここには長大な『Mafia』批評があったのだが、なくなくカットした。文末に付録として『Mafia』批評を掲載しているので、よければ後で読んでほしい)
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どうあれ『Mafia』を大成功に導いたヴァーヴラは、一躍チェコ内では知られた著名人となる。
チェコの新聞や雑誌は当然として、アメリカや西欧においても『Mafia』は絶賛され、連日多くのプレスが彼に詰め寄った。彼も気を良くしたのか、真っ黒なスーツに身を包んで、シチリアマフィアならぬボヘミアマフィアのような出で立ちで現れていたりもする(彼がやらかしてしまった最大の犯罪は、スピード違反だそうである)。
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ところがヴァーヴラの絶頂は長くは続かなかった。ヴァーヴラは続編『Mafia 2』の開発を進めていたのだが、その途中で突如として退職してしまったのである。その理由について当時ヴァーヴラは多くは語らなかったが、Illusion Softworksが2008年アメリカ最大手のTake-Twoによって買収され「2K Czech」へと名前を変えたことと無縁ではないだろう。後にヴァーヴラは何度もTake-Twoと対立し、自分のクリエイティビティを妨げられたことを匂わせており、よもやソビエトの支配から逃れた後にアメリカの支配が及ぶというのは皮肉という他ない。
もっとも、後に振り返ればこの災難は幸福だったと言えるかもしれない。ヴァーヴラは一人の会社員ではなく、あくまで一人の開発者として一体何を作るべきなのか。そう内観するのに必要な時間だったからだ。それがまさに、未だ大作級のビデオゲームではだれも成し遂げられなかった、自分の国家や民族というものをビデオゲームとして体験させるというプロジェクト、のちの『Kingdom Come: Deliverance』であった。
「祖国を、ゲームにする」
このゲームの企画は、単純ながら、それゆえ実現不可能と断じてよいほど困難な、ともすれば狂気めいたアイディアであった。
「祖国チェコを、ゲームにする」
すなわちヴァーヴラら、Warhorse Studiosの面々が生まれ育ったチェコという国家、その中でも最も輝かしい栄光を誇りながら、同時にヨーロッパ全土を揺るがす爆心地へと転じていく、15世紀のボヘミア王国そのものを、ビデオゲームにするということ。
とてつもない、挑戦である。
そもそもゲームがファンタジーを扱うのは、「ファンタジーに人気があるから」ではない。プレイヤーを楽しませるために興味深いルール(ゲームデザイン)を考えると、世界をそれに矯正しなければならないからだ。われわれの生活はゲームではないのだから、そのままゲームにすると「クソゲー」になる。これは任天堂は当然として、どんなゲーム企業も念頭に置いていることで、だから中世ヨーロッパを描くゲームは数あれど、ほぼ例外なくファンタジーである(その例外は「シミュレーター」つまりゲームではない)。
例えば、なぜファンタジーゲームに魔法が出てくるのか。これは、ファストトラベルのようなゲーム固有の不可解な、しかしルールとしては必要なルールを、強引に説明できるからだ。RPGにドラゴンが出てくるのだろうか。これは、ゲームプレイにおける成長を実感させる「強敵」が必要であり、それに都合よいのがドラゴンだからである。
これらは非常に大雑把な解釈だが、要するに、ファンタジーのない中世ヨーロッパというのは、「砂糖が入ってないケーキ」とか「塩が入ってない漬物」のように、あまりにも美味しくないので(誰でも思いつきはするが)わざわざ作品として仕上げられなかったのである。(ただし、ストラテジーゲームなどジャンルによっては例外もある)
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さて、ヴァーヴラらが、一体どのような希望のためにこうしたゲームを作ろうとしたのかは、後で語ろう。先にここで安心してほしいのは、このように現実味を追求するほど退屈になってしまう前提を踏まえたうえで、ヴァーヴラはそれを却って面白く作ったということ。言うならば、中世ヨーロッパという歴史の中に埋もれていた遊びを、彼ら彼女らは「発見」したのである。
リアルな「剣戟」はその一つだ。特に海外の一人称視点RPG(例えば「TES」シリーズなど)において、剣戟はただクリックすれば剣を毎度同じ方向に斬りつけるという、いたって単調なものだった。そこで『Kingdom Come』シリーズでは、本物の西洋剣術に立ち返る。まず剣を振るにもスタミナが必要で、剣ごとの間合いも見計らわなければいけない。また入力によって斬りつける方向を変えて、敵が斬り掛かってきたときにはそちらに方向をあわせる。ただリアルなだけでなく、攻めるにも守るにも読み合いが生じ、実戦の立ち会いのような興味深さが実現している。
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歴史から「発見」した遊びはこれだけではない。特に好ましいのは「会話」である。主人公のセリフを選んで、NPCの機嫌をうかがったり、言いくるめるというのは西欧のRPGでは難しくもないが、あくまでここの住人はわれわれよりも500年以上前の祖先であるのが面白いのだ。
例えば、街にいる薄汚れた使用人から、何らかの情報を聞き出すとして、彼・彼女に「高圧的に問いただす」か「紳士的に聞く」という二択があったとしよう。21世紀のゲームなら、もちろん正解は後者だ。身分制度はとうに廃れており、それを否定する人間こそ報われるべきという倫理観を、そのクエストの作者は肯定するだろう。しかし、『Kingdom Come』シリーズにおいては前者を選んだほうが好ましい反応を得られることが多々ある。身分制度が当たり前の時代では、身分に応じて差別しないというのが失礼(少なくとも不気味)であったのだ。現代的な倫理に囚われているほど、この中世では倫理的に許容されがたいという面白さがある(無論、あえて現代人の倫理を貫いて、意に反するボヘミア人を断罪していくという手もある)。
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『Kingdom Come』の驚くべき点は、まさにここである。単にリアルな、ファンタジーのないヨーロッパを舞台にゲームを作るという大望だけでなく、ゲーム上の遊びを歴史から「発見」しているということ。もしファンタジーを肯定するなら、打ち合うような剣戟をするぐらいなら炎の魔法で焼き払えばいいし、現代的に許容しがたい倫理観を打ち出せないところを、『Kingdom Come』は「魔法もドラゴンも出ない、純粋な中世ボヘミアのRPG」として新しいゲームプレイを確立している。正しく、「祖国をゲームにしている」のだ。
そして当然、世界観というフィクション面においては、「中世ボヘミア王国の再現」という試みは唯一無二のものとして独創性を生み出していく。開発者が長年住んだ美しい、石造りの町並みは当然として、その間に広がる膨大なブナの森は植物相まで遡って考証され、NPCの衣装や道具の一つ一つさえ再現される。ヴァーヴラがインタビューで「自分たちが長年住んできたことが最大の糧だった」と語るように、チェコ人でなければ作れないチェコゲームなのは、間違いない。(歴史考証も徹底しており、7人の脚本家に対して歴史家を20人も雇い、ヴァーヴラ自身2年間ひたすら勉学に費やしたというのだから驚く)
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ところがここで最も興味深い点は、単に「中世ヨーロッパ」を描くだけでも非凡であったにもかかわらず、頑なにヴァーヴラたちが「1403年」という1年間に、強い執着を見せている点である。
第一に、本作の物語は「西暦1403年」という年から始まる。作中では、この年において、スカリッツという辺境に住む鍛冶屋のせがれヘンリーが、その地を通過した賊軍に村ともども蹂躙され、両親の命と形見の剣を奪われる時点から始まる。なお史実の1403年でもこれは起きていたことのようで、とある歴史書には「スカリッツは城伯に任命されたラジク卿により治められていたが、シギスムントの攻撃によってタルムバークへ逃亡した」という一文のみ記されている。
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さてこの一件は、ヘンリーの目線で描かれる作中では極めてドラマチックな事件であり、事実ヘンリーの動機は最初から一貫して両親を理不尽に奪われたことへの報復なのであるが、現実的に考えて中世のヨーロッパでは決して珍しいことではない。内乱の最中に、無辜の民草が蹂躙されるなどということは、何ら注目に値しない。それこそ「歴史書にたった一文書かれただけ」で完結するような、些末な出来事なのである。
では一体どうして、『KCD』は「1403年」が舞台なのか。まして2018年に発売した初代『KCD』もさることながら、2025年に発売された続編『KCD2』に至っても、依然「1403年」を舞台にしているのか。一体この「1403年」に何が起きたというのか。
結論を先に言ってしまおう。
「1403年」には、何も起きなかったのである。
何も起きなかったから、ヴァーヴラたちはこの年を舞台に選んだのである。
「1403年」を描くということ
歴史の話をしよう。多少長いが、『Kingdom Come: Deliveracne』を楽しむ上で知って損のない話だから、少し我慢してもらえると嬉しい。
さて、本作の舞台となる1403年のボヘミア王国であるが、実はヨーロッパ屈指の影響力を持った「大国」であったというのをご存知だろうか。
というのも、まだこの一帯が「神聖ローマ帝国」という中央諸侯のゆるやかな寄合所帯であったころ、諸侯たちは権力を集中するのを恐れて弱小貴族をあえて帝国の皇帝へ選出していたのだが、その中で選ばれたのがルクセンブルク伯のハインリヒ7世であった。この君主はかのダンテが『帝政論』で絶賛するほどの名君で、あくまでお飾りの帝位であることを承知で、遠く離れたボヘミア王ヴァーツラフ3世の妹君と息子との縁談をとりまとめ、ルクセンブルク家とボヘミア王はドイツ諸侯を出し抜いて実権を握ることに成功する。
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こうして突如として中欧の覇権を握ったボヘミア王家だが、それを確たるものとしたのがハインリヒ7世の孫にあたるカレル4世である。カレルは幼少期から神童のごとき才覚を発揮し1347年に王位につくと、その権力を現在のチェコの首都プラハに集中投下し、当時ヨーロッパでも最高峰となるプラハ大学や、今も世界で最も美しい城の一つとして称えられるプラハ城の再建を行い、プラハを現在に至る帝都として再建する。
また教皇庁のあったイタリアに対しては政治的妥協と引き換えに大金をせしめ、450年にわたって神聖ローマ帝国の枠組みを作った金印勅書によって諸侯との関係性を安定させるなど、無用な闘争を避けて祖国の興隆へ尽力した。チェコでは今もカレル4世は最も偉大なチェコの皇帝として知られ、語り継がれている。日本で言えば、徳川家康とか織田信長に匹敵する人物といえるだろう。
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ところが、名君の次には暗君が支配するもの。不幸にもカレル4世もその例外ではなく、1378年に没すると、彼の息子にあたるヴァーツラフ4世は放蕩を尽くし、父が築き上げた盤石な支配体制はあっという間に崩壊の兆しを見せる。
そこに目をつけたのが従兄妹のジギスムントで、ヴァーツラフ4世を保護する建前で軟禁。その結果、ボヘミアは実質的に王不在となり、騒ぎに乗じた盗賊も街道を襲うという有り様になっていた……というのが、まさに『Kingdom Come』の序章となっているわけだ。
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さて、この時点で「1403年」という設定は絶妙である。
チェコの長い歴史を振り返ったとき、カレル4世が統治する時代は間違いなく「最盛期」であった。当時のプラハは神聖ローマ帝国の帝都であり、間違いなくヨーロッパの中心と呼べる時代だったのだ。ひいてはヨーロッパ中の富と人材がチェコに集まり、当然そこには紛争や陰謀などきな臭い政治も事欠かなかった。事実、この時代を舞台とした小説や映画は多く作られており、ゲームにするにも絶好の時代であったに違いない。
例えば、同じく史実を扱ったゲーム「アサシンクリード」シリーズの場合、イタリアを舞台とする『アサシンクリード2』はレオナルド・ダ・ヴィンチなどルネサンス期絶頂の時代を描いているし、フランスを舞台とする『アサシンクリードユニティ』はフランス革命の真っ只中を描くなど、その国家の黄金期をくりぬいて娯楽にしている。今論争の渦中にある『アサシンクリード シャドウズ』だって、つまるところ織田信長の天下統一を描くわけで、仮にチェコを舞台にした「アサシンクリード」を作るなら、当然カレル4世が統治した14世紀になるだろう。
にもかかわらず、1403年当時のヴァーツラフ4世による治世でチェコは衰退し、やがてハンガリー(シギスムント)、オーストリア(ハプスブルク家)、ドイツ(ナチス)、ロシア(ソ連)といった大国に呑まれ、ただ搾取と暴虐に耐える日々が続くことになる。現実的にはチェコの三方敵に囲まれた地政学的な制約上、ヴァーツラフ4世が賢人であろうと結果は変わらないのだが、それでも「1403年」というのは他ならぬチェコ人にとっては正視に耐えない嫌な歴史であり、あえてこの時代を描く判断は常識では考えられない。
しかも、「1403年」という時代設定は、その「未来」を鑑みてもいっそう不思議な選択と言える。そう、ここからは『KCD』の後に一体何が起きるのか、少し「ネタバレ」になってしまうが話したい。
まずヴァーツラフ4世とシギスムントの抗争だが、既に作中でも察せられる通り、いったん解放されたヴァーツラフ4世はチェコの混乱を治めることができず、卒中で死去する。そのヴァーツラフ4世に代わってシギスムントは念願かなったチェコを支配することになったものの、ここでヨーロッパ全土を揺るがす大事件が発生する。
そう、「フス戦争」だ。
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ここまで主にチェコを俯瞰してきたが、そこから視野を少し南西へと向けると、カトリック教会はイタリアとフランスで分裂(シスマ)していたことがわかる。知っての通り、キリスト教の中心たる教皇庁はバチカンにあったのだが、急速に勢力を伸ばしたフランス人はあろうことか自らを正統な教皇庁と名乗り、バチカンと対立(いわゆるアヴィニョン虜囚)。双方の教皇はキリストの威光のもと莫大な軍事費を各地の教会に要求し、その要求にこたえるべく教会は贖宥状のようなアコギなマネタイズを進め、聖職者の腐敗が進んでいた。
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このような現状に対して当然世間では不満が広まっていた。そこで脚光を浴びたのがフスである。彼は貧しい家庭に生まれながら、30代にしてプラハ大学の学長となり、更にベトレーム礼拝堂の説教者に昇り詰めた秀才であるが、大胆にも説教の中で聖職者たちの腐敗を批判したのだ。曰く、「今の聖職者たちは聖職者にあらず商売人<シモニア>であり、キリストを冒涜して利益ばかり追及しているのだ」と。
当然、この時代においてこのような批判が許されるはずがなく、フスは要注意の異端者として教皇から破門されるなど、世界中で危険視されることになる。これは当時ボヘミアを既に支配していたシギスムントも同様であり、フスに弁明の機会を与えると言ってコンスタンツ公会議に招集しておきながら、その場で裏切って火刑にしてしまう(その理由は諸説ある)。
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ところが、ここで激怒したのがボヘミアの市民である。フスの言い分は至極真っ当であり、フスは教会の強欲のために一方的に処刑されたのだと考えると、彼ら彼女らは1419年、ついに国王シギスムントへ反旗を翻す。後に「フス戦争」として知られるこの内乱は15年続き、最終的に何とかヨーロッパ中から集結したカトリック連合軍が鎮圧したものの、シギスムントを含むボヘミア王家そのものの権威は失墜し、ヨーロッパにおけるカトリックへの信頼そのものも大いに揺らいだ。やがて、オスマン帝国の侵攻、ハプスブルク家による支配へ繋がっていくのだが、ここではいったん置いておく。
重要なのは、この1419年から続く「フス戦争」はチェコ史はおろかヨーロッパ史において、極めて重大な戦争だったということである。
1400年以上も続いてきたカトリックの時代は、ヤン・フスというたった1人のチェコ人によって小さな、しかし確たる亀裂が入り、後にマルティン・ルターが「95ヶ条の論題」を掲出したことによって、プロテスタントによる宗教改革へと繋がっていく(ただしフス派とルター派は必ずしも同一でない)。更にそのプロテスタントによる三十年戦争を介してナショナリズムへ繋がったり、あるいは逃げ出したピューリタンによって新大陸への植民地化が進むことになるわけで、つまり「フス戦争」こそが中世から近代へと移る契機の一つだったことは史学的に否定の余地がない。
もちろんこのフス戦争も、あらゆる虚構において格好の題材となった。チェコの世界的な作曲家であるスメタナは『わが祖国』の中でヤン・フスを英雄とし、同じくチェコの画家ミュシャは連作《スラヴ叙事詩》でフス戦争の様子を何枚にも渡って描いた。遠く離れた日本でさえ、大西巷一はフス戦争を題材にしたマンガ『乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ』を連載している。フス戦争の史学的な重要さもさることながら、特に戦力で大いに劣るフス派を束ねて十字軍を何度も撃退したヤン・ジュシカのような存在がいたことや、略奪や強姦が横行する内乱の残酷さも、これに拍車をかけている。
そしてこの事件こそ、通常であれば間違いなく「ゲームに向いた時代」なのだ。それはフス戦争そのものの史実的な意義もさることながら、ゲームが内包する暴力性を肯定しうる苛烈な内乱(これは特に宮崎英高がよく使う設定だ)、異端視されたチェコ一国がカトリック連合軍と台頭に渡り合ったナショナリズム的ロマン(『Ghost of Tushima』の成功は記憶に新しい)、いずれもゲームにはこの上なく好都合な条件が揃っている。
にもかかわらず、ヴァーヴラは明らかに意図的に「フス戦争が発生する直前の、1403年」に舞台を設定した。作中であからさまに紛争の気配は匂い経っているのだが、辛うじてまだ平穏が守られている、そんな緊張状態がゲーム内では続く。
さて、長く歴史について語ってきたが、なぜわたしが「1403年」に着目したのか理解いただけると思う。
つまり「1403年」とは、チェコおよびヨーロッパにおける「狭間」あるいは「凪」と呼べる時代なのだ。具体的には、プラハを神聖ローマ帝国の帝都として築き上げた、1378年まで続くカレル4世の統治が「チェコの黄金期」「中世のおわり」なのだとしたら、ヨーロッパ全土を揺るがしチェコ全土を血で染めた、1419年から始まるシギスムントのフス戦争は「チェコの暗黒期」「近代のはじまり」なのである。
これと比べれば『KCD』が舞台とするチェコは、あまりにも半端であると言わざるを得ない。日本を舞台にしたゲームを描くのに、わざわざ室町時代後期の山梨県を舞台にするとか、焼肉で言えば、ロースやカルビに対するハラミというか……。ただでさえ「ファンタジーのない、純粋な中世ヨーロッパを舞台にした、大作オープンワールドRPG」というニッチな性質を強化してしまっている。
実は、今から5~6年ほど前に本作をプレイしたわたしは、偶然にもチェコ史に関心があったがゆえに、このような凡俗な批評観を抱いていた。なぜ、1403年なのか。格好の黄金期と暗黒期がありながらにして、あえてその間なのか。事実、わたしはずっとこの疑問を保留し続けていた。しかし2025年、遂に新作『Kingdom Come Deliverance 2』が発売するという段階で、このゲーム史に残る傑作について批評を執筆しなければと考え、実際に通して『KCD1』を再プレイしたりヴァーヴラら開発者のインタビューを洗いだしていくうち、その驚くべき「核心」についに触れることができた。
ヴァヴラはこう語る。
わたしは「普通のヨーロッパ」のゲームが作りたかったのだ、と。
以下、有料部分では
・あえて「1403年」を描いた『Kingdom Come Deliverance』の文芸史上に名を遺す価値について。
・「普通のヨーロッパ」とは何か。なぜ「普通」でなければいけないのか。
・チェコ史を通じてみる「チェコ人にしか作れないゲーム」の本質を、チェ
コの作家ミラン・クンデラから再解釈する
・『Kingdom Come Deliverance』は何故傑作なのか
・付録:『Mafia』批評
など、批評の核心へと迫っていきます。1本のビデオゲームについて論じるために、宗教、文化、歴史、さらに美術や文学まで接続する、過去例を見ないインテリジェントなゲーム批評となっており、『KCD』だけでなくビデオゲームを理解するうえで全く新たな視点を提示しています。
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