「峠」 漱石全集と切手コレクション
昨晩(3月17日)、「峠 最後のサムライ」を見た。まだ、頭が熱を帯びているので、冷静に語れそうもない。
そこで、今回はぼくにとって司馬遼太郎さんの歴史小説「峠」とは、と題して語ってみたい。
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ぼくの学生時代の話だ。下宿先から10キロほど離れたところに親戚のおばさんの家があった。おばさんというのは、実際はぼくのおじいちゃんの妹さんで、正確に言うとおばあちゃんなのだけれども、慣例上おばさんと呼んでいた。
おばさんは養子縁組で子供のいなかったその家にはいったので、お婿さんをもらって住んでいた。そのおばさんの(養子縁組で入った)お母さんにあたる人の妹さんが15キロ先の家に住んでいた(あ~ややこしい)。
その妹さんはおばさんのお母さんの妹なので、ぼくが入学したときにはすでに80を超えていた。今回はそのおばあさんの話がもとになっている。
おばあさんはぼくが入学する前年に、旦那さんを亡くされていた。ぼくのおばさんは、おばあさんが気落ちし、弱っているようだから、たまに顔を出してくれないかとぼくに相談してきた。
ぼくとおばあさんは何の関係もないのだけど、おばさんにいくらかはお世話になっていたので、むげに断ることもできず、たまに会いに行くようになった(ぼくは祖父母に育てられたので、そういう老人相手は苦ではない)。
おばあさんの家に行って、最初に驚いたのは蔵書の数だ。これは亡くなったおじいさんの趣味で、昔の本がたくさんあった。中でも、ぼくを驚かせたのが、夏目漱石全集が置いてあることだった。それもパラフィンで綺麗に包装されたもので、すべて初版本だった。当時は、まだ「開運なんでも鑑定団」が始まっていなかったが、これはお宝だと確信した。
さらに、ぼくを驚かせたのが、おじいさんの切手コレクションだった。おじいさんは郵便局員でかなりいいところまで上り詰めた人らしく、その切手コレクションはものすごいものだった。ぼくらの子供の頃、切手収集が流行ったことがある。だから切手図鑑ももっていて、それを見ながらいろいろな切手を集めていたものだ。
おじいさんの切手コレクションは、信じられないのだけど、ほとんど切手図鑑そのものだった。これコンプリートなんじゃないかというくらい凄いものだった。みんなのあこがれだった「月に雁」、「見返り美人」も当然、揃っていた。
このとき、ぼくの目はきらりと光った。
ぜったい、もらうと決めちゃった~(トンズラー)
noteのみなさんは知らないかもしれないが、ぼくはもらうと決めたものはぜったいものにするのだ(そこがぼくの好きなところである)。
それからは毎週、日曜の夕方になるとおばあさんのところに出かけて話を聞いたり、学校の話をしたりした。夕方なので、おばあさんは夕食を作って待っていてくれた。いつもビフテキだった。
ぼくはビフテキが好きではない。しかし、顔には出さない。子供の頃から祖父母に育てられてきたおかげで、演技力は磨かれていた。さも、おいしそうに食べるものだから、毎回ビフテキがでた。固くておいしくもないビフテキを食べさせられる身にもなってほしいと思いながら、(切手コレクションと漱石全集のために)ぼくは迫真の演技をし続けた(そこがぼくの好きなところである)。
このことは友人たちに一度も話したことはないので、今回ここで初めて話をする。流石に、切手コレクションと漱石全集のために毎週おばあさんのところにいっているとはいえないものがあった。ぼくは絶対秘密主義なのだ(そこがぼくの好きなところである)。
おばあさんは90に近くなっていたけれど、だんだんと元気になり、喜んで僕を迎え入れてくれた(しめしめ)。それでも夏などは体力が落ちるらしく、病院に入院することもあった。それでもぼくは(点数稼ぎに)日曜日になると、せっせとおばあさんのお見舞いに行っていた。ぼくは点数稼ぎが大好きなのだ(そこがぼくの好きなところである)。
そうやって4年間、ほとんど毎週(用があるときは別)おばあさんのところに通い続けた。すると、おばあさんもぼくに気を許し、「自分が死んだら、切手コレクションと漱石全集はお前にあげるよ」といってくれるようになった。4年間、頑張った甲斐があったというものである。ぼくは徹底的に完ぺき主義なのだ(そこがぼくの好きなところである)。
ただ、卒業後、海外で仕事をしていたので、そうやすやすとおばあちゃんに会えなくなってしまった。何年かして帰国したときに、おばさんから「おばあちゃんがもう駄目そうだから、会いに来てほしい」と連絡があった。
病院に行ってみると、おばあちゃんは「あんたが帰ってくるまで、なんとか頑張って生きてきた」といった。このとき、おばあちゃんの心臓は全速で100メートルを走り続けているようなものだと医師に説明された。これで生きているのが奇跡だともいわれた。おばあちゃんは「もうこれで思い残すことはない」といっていた。そして、ほんとうにその2日後、亡くなった。
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葬儀後、しばらくして形見分けが行われた。ぼくには予定通り、漱石全集と膨大な切手コレクションを譲るように指示されていた。
しかし、ぼくは(なんと)その申し出を断ってしまった。
何かわからないけれど、ぼくがそれをもらうと、本当に大切な何かを失うような気がしたからだ。漱石全集と切手コレクションは、別の誰かのものになった。
生前、おばあちゃんは「わたしが死んだら、たまには思い出してほしい」といっていた。それは嫌だなと思った。漱石全集と切手コレクションさえもらえば、おばあちゃんのことはどうでもよかった。ぼくは冷たい人間なのだ(そこがぼくの好きなところである)。
それなのに、今もたまにおばあちゃんのことを想いだしては、鼻の奥がツンする(そこがぼくの一番嫌いなところだ!!)。
これがぼくにとっての「峠」だ。なんのこっちゃとおもうかもしれないが、これがぼくの(非常に限定的な)「峠」なのだからしかたがない。
「峠」の主人公・河井継之助はこうかたっている。
漱石全集と切手コレクションを断った時に、ぼくの体を風が通り抜けるのを感じた。それが気のせいじゃなかったら、うれしい。
ゴゴゴゴゴッ
(この音は!)