友よ、いつかまた
ダスティ・ホフマン主演の「卒業」は言わずと知れた名作だ。
1967年封切りの映画なので、僕はまだ生まれていなかった。
だから当然、見たのは映画館ではなくて、TVの日曜洋画劇場か金曜ロードショーのどちらかだったのだろう。
内容はいつものようにすっかり忘れていたので、主人公のダスティ・ホフマンが相手のエレンと一緒に教会を飛び出すシーンと、サイモン&ガーファンクルの「サウンドオブサイレンス」が流れていたことぐらいしか覚えていなかった。
ベンジャミンがエレンのお母さんと付き合っていたというのも今、知った。なんせ、子供だったもので、すいません。
今、この歳になってみると、この「卒業」という映画も別な視点で見ることができる。僕はエレンの親族と、新郎の親族は、あのあとどうしたのだろうということが凄く気になった。
もし、うちの息子がベンジャミンの立場だったらどうだろう。考えただけでエレンの親族に申し訳が立たない。できるだけ親戚付き合いは避けて通りたい。
それでは、息子が新郎の立場だったらどうだろう。いやぁ、考えただけで息子が不憫でならない。親戚からはどうなっているんだと罵倒され、親戚中に謝って回らないといけないのだろうか。
どちらにしても苦しい立場であることに変わりない。しかし、こういうことも時が解決してくれるのだろうか。
あのときはあんなことがあったねと、振り返るときがくるのだろうか。親戚が集まる会席で、「あのときはほんと心臓が止まりそうになるくらい、びっくりしたよ」と笑って話せるその時が・・・。
*
出雲神話で冠婚葬祭に関してやらかした神様といえば、大国主命の御子神・阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)。
高天原では「葦原瑞穂の国はわれわれのものである」として、使いを出すことになる。はじめの使いは天菩比神(あまのほひ)。しかし、天菩比神は大国主命にへつらい、3年たっても帰ってこなかった。
そこで次は天若日子を使いに出す。天若日子はなんと、大国主命の娘・下照比売(したてるひめ)を妻にして8年もの間帰ってこなかった。
神代というのは時間感覚が我々の感覚とずいぶん違っていて、いつ、どこで、何をしたというのがはっきりしないことが多い。だからこそ、その中でこの2人の使いの話は異質である。はっきりと11年という年月が経っている。待った時間がこんなに長かったということを伝えたいほどに、高天原はよほどやきもきしたのだろう。
この天若日子、という神様。阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)と少なからぬ関係がある。天若日子の妻は阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)の妹なのである。そして「古事記」に二人は友だったとはっきりと記載されている。
出雲神話で、はっきり友とうたった関係は、この二人が最初である。「友達の神様」といってもよいかもしれない。しかし、この友情も天若日子の死で突如、終わりを告げる。
高天原にもその死は伝わり、天若日子の父神と妻子がやってきて、率先して葬儀を執り行う。
えっ、天若日子って妻子がいたの?
それよりも葬儀を父神と妻子が執り行うって、ちょっとどうかと思われますよ。妻の下照比売(したてるひめ)の立場は!?
そもそも、下照比売の父神・大国主命がなぜ出てこない!?
不思議ではあるものの、そこに今回の主役である阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)が登場する。
阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)を見た、天若日子の父神と妻子は「天若日子が生きていた」と喜ぶ。
というのも、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)と天若日子が瓜二つだったから。
すると、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)はこうおっしゃった。
「わしを汚い死人と一緒にするとは何事か!」
えぇー!!
あなた、友人だって言ってましたよね、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)さん?
阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)は怒って、葬式の家を剣で切り伏せ、足で蹴っ飛ばしてしまった。
ちょっと、ちょっと、ちょっと!!
前代未聞の荒業ですよ、この仕業。葬儀場をぶち壊すなんて、流石にダメでしょう。大国主命も叱らなかったのだろうか。
しかし、それを見た妹の下照比売(したてるひめ)、突如歌いだす。
もう、わけわかんない。
ひょっとすると兄妹とも、高天原の父神、妻子の自分勝手なふるまい(葬儀の強行)が頭にきてたのかもしれない。
ただ、友情を誓い合った阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)よ、もう少し弔いにも方法があったのではなかろうか。なんといってもあなたたちは一番最初の「友達の神様」なのだから。
その、一見乱暴者に見える阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)ですが、それでもちゃんと出雲では大切に祀られています。阿須伎神社(あずきじんじゃ)です。
さて、映画「卒業」で流れていた名曲「サウンドオブサイレンス」を書いたサイモン&ガーファンクル。
サイモン&ガーファンクルは名曲が多い。僕の好きな曲は「ボクサー」。
ぼくにも友情を誓い合った友が、少なからずいるのはありがたいことだ。
僕は今でも出雲で、時に転び、時に尻もちをつきながらも、まだここに立っている。
異国の地でちりぢりになってしまった、友よ。
君も、まだそこに立っているだろうか。
またいつか、
あんなこともあったねと笑って話せるときが
来ると信じて、
僕は今日もリングに上がる。
*
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら、阿須伎神社にもいらしてください。
友達との友情がより深まるかもしれませんよ ♪
お待ちしています。
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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