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友よ、いつかまた

ダスティ・ホフマン主演の「卒業」は言わずと知れた名作だ。

米国東海岸の有名大学陸上部のスターで新聞部長でもあったベンジャミン・ブラドック(ダスティン・ホフマン)は、卒業を機に西海岸カリフォルニア州南部のパサデナへ帰郷する。友人親戚一同が集った卒業記念パーティーで、将来を嘱望される若者に人々は陽気に話しかける。そのパーティーで、父親(ウィリアム・ダニエルズ)の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソンの妻のミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)と再会する。卒業記念のプレゼント、赤いアルファロメオ・スパイダー・デュエットでミセス・ロビンソンを送ったベンジャミンは、彼女から思わぬ誘惑を受ける。
一度は拒んだベンジャミンだったが、いま目標を失っている彼に示された道は他になかった。大学院への進学を期待されながらもどこに進学するか決めないでうつろな夏休みが始まる。夜ごとの逢瀬。それでもぬぐい去れない虚無感。心配した両親は、同時期に北部のバークレーの大学から帰郷した幼なじみのエレーン・ロビンソン(キャサリン・ロス)をデートに誘えという。一度きりのデートでわざと嫌われるようにし向けるはずが、ベンジャミンはエレーンの一途さに打たれ、二度目のデートを約束してしまう。
二度目のデートの当日、約束の場所に来たのはミセス・ロビンソンだった。彼女はベンジャミンにエレーンと別れるように迫り、別れないならベンジャミンと交わした情事を娘に暴露すると脅す。焦燥したベンジャミンはエレーンに自ら以前話した不倫の相手は、他ならぬあなたの母親だと告白する。ショックを受けたエレーンは、詳しい話も聞かずに、ベンジャミンを追い出す。
エレーンを忘れられないベンジャミンは、彼女の大学に押しかけ、大学近くにアパートを借り、エレーンを追いかける。結婚しようという彼の言葉を受け入れかけたある日、しかし、彼女は退学していた。そしてベンジャミンはエレーンが医学部卒業の男と結婚することを知る。
どうにか彼女の結婚が執り行われているサンタバーバラにある教会を聞きだして、そこまで駆けつけたベンジャミンは、エレーンと新郎が今まさに誓いの口づけをした場面で叫ぶ。「エレーン、エレーン!」。ベンジャミンへの愛に気づくエレーンはそれに答える。「ベン!」。
ベンジャミンを阻止しようとするミスター・ロビンソン。悪態をつくミセス・ロビンソン。二人は手に手を取って教会を飛び出し、バスに飛び乗る。バスの席に座ると、二人の喜びはやがて未来への不安に変わり、背後に「サウンド・オブ・サイレンス」が流れる。

1967年封切りの映画なので、僕はまだ生まれていなかった。
だから当然、見たのは映画館ではなくて、TVの日曜洋画劇場か金曜ロードショーのどちらかだったのだろう。

内容はいつものようにすっかり忘れていたので、主人公のダスティ・ホフマンが相手のエレンと一緒に教会を飛び出すシーンと、サイモン&ガーファンクルの「サウンドオブサイレンス」が流れていたことぐらいしか覚えていなかった。

ベンジャミンがエレンのお母さんと付き合っていたというのも今、知った。なんせ、子供だったもので、すいません。


今、この歳になってみると、この「卒業」という映画も別な視点で見ることができる。僕はエレンの親族と、新郎の親族は、あのあとどうしたのだろうということが凄く気になった。

もし、うちの息子がベンジャミンの立場だったらどうだろう。考えただけでエレンの親族に申し訳が立たない。できるだけ親戚付き合いは避けて通りたい。

それでは、息子が新郎の立場だったらどうだろう。いやぁ、考えただけで息子が不憫でならない。親戚からはどうなっているんだと罵倒され、親戚中に謝って回らないといけないのだろうか。

どちらにしても苦しい立場であることに変わりない。しかし、こういうことも時が解決してくれるのだろうか。

あのときはあんなことがあったねと、振り返るときがくるのだろうか。親戚が集まる会席で、「あのときはほんと心臓が止まりそうになるくらい、びっくりしたよ」と笑って話せるその時が・・・。


*


出雲神話で冠婚葬祭に関してやらかした神様といえば、大国主命の御子神・阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)。

高天原では「葦原瑞穂の国はわれわれのものである」として、使いを出すことになる。はじめの使いは天菩比神(あまのほひ)。しかし、天菩比神は大国主命にへつらい、3年たっても帰ってこなかった。

そこで次は天若日子を使いに出す。天若日子はなんと、大国主命の娘・下照比売(したてるひめ)を妻にして8年もの間帰ってこなかった。

神代というのは時間感覚が我々の感覚とずいぶん違っていて、いつ、どこで、何をしたというのがはっきりしないことが多い。だからこそ、その中でこの2人の使いの話は異質である。はっきりと11年という年月が経っている。待った時間がこんなに長かったということを伝えたいほどに、高天原はよほどやきもきしたのだろう。

この天若日子、という神様。阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)と少なからぬ関係がある。天若日子の妻は阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)の妹なのである。そして「古事記」に二人は友だったとはっきりと記載されている。

出雲神話で、はっきり友とうたった関係は、この二人が最初である。「友達の神様」といってもよいかもしれない。しかし、この友情も天若日子の死で突如、終わりを告げる。

高天原にもその死は伝わり、天若日子の父神と妻子がやってきて、率先して葬儀を執り行う。

えっ、天若日子って妻子がいたの?

それよりも葬儀を父神と妻子が執り行うって、ちょっとどうかと思われますよ。妻の下照比売(したてるひめ)の立場は!?

そもそも、下照比売の父神・大国主命がなぜ出てこない!?

不思議ではあるものの、そこに今回の主役である阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)が登場する。

阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)を見た、天若日子の父神と妻子は「天若日子が生きていた」と喜ぶ。

というのも、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)と天若日子が瓜二つだったから。

すると、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)はこうおっしゃった。

「わしを汚い死人と一緒にするとは何事か!」


       えぇー!!


あなた、友人だって言ってましたよね、阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)さん?


阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)は怒って、葬式の家を剣で切り伏せ、足で蹴っ飛ばしてしまった。

ちょっと、ちょっと、ちょっと!!

前代未聞の荒業ですよ、この仕業。葬儀場をぶち壊すなんて、流石にダメでしょう。大国主命も叱らなかったのだろうか。

しかし、それを見た妹の下照比売(したてるひめ)、突如歌いだす。

もう、わけわかんない。

ひょっとすると兄妹とも、高天原の父神、妻子の自分勝手なふるまい(葬儀の強行)が頭にきてたのかもしれない。

ただ、友情を誓い合った阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)よ、もう少し弔いにも方法があったのではなかろうか。なんといってもあなたたちは一番最初の「友達の神様」なのだから。

その、一見乱暴者に見える阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)ですが、それでもちゃんと出雲では大切に祀られています。阿須伎神社(あずきじんじゃ)です。


さて、映画「卒業」で流れていた名曲「サウンドオブサイレンス」を書いたサイモン&ガーファンクル。

サイモン&ガーファンクルは名曲が多い。僕の好きな曲は「ボクサー」。

僕はただの貧しい少年
自分の話なんかめったにしないけど
ポケットいっぱいになるほどブツブツ言ったせいで
反抗心を無駄にすりへらしてしまったんだ
約束なんてものは みんな嘘か冗談さ
それでも人は自分の都合のいいことだけ聞こえて
他は無視してしまうんだ
家も家族も捨てたとき 僕はほんの子供だった
見知らぬ人たちのなかで 鉄道の駅の静けさの中で
すっかり怖気づいて 
身をひそめるように ボロを着た人たちが向かう
貧民街を求めて 彼らだけが知る場所を探した
Lie la lie, lie la la la lie lie
Lie la lie, lie la la la la lie la la lie
労働者の賃金でいいから
僕は仕事を求めてやって来た
だけど求人はなくて 
7番街の娼婦が声をかけてきただけだった
思い切って告白すれば 寂しくてしようがなかった時は
そこで慰めてもらったものさ
Lie la lie, lie la la la lie lie
Lie la lie, lie la la la la lie la la lie
そして、僕は冬服を広げて いなくなってしまいたいと願った
家に帰りたい
そこではニューヨークの冬が僕を痛めつけることもない
僕を導くんだ、 家に帰りたい
開拓地に立つボクサー そして彼の職業はファイター
彼を打ちのめすか 泣き叫ぶまで傷つけた 
パンチを全部思い出しながら怒りと恥ずかしさの中で言う 
”僕はもうやめる もうやめる”
だけど、そのファイターはまだそこにいるんだ
Lie la lie, lie la la la lie lie
Lie la lie, lie la la la la lie la la lie



ぼくにも友情を誓い合った友が、少なからずいるのはありがたいことだ。
僕は今でも出雲で、時に転び、時に尻もちをつきながらも、まだここに立っている。

異国の地でちりぢりになってしまった、友よ。
君も、まだそこに立っているだろうか。

またいつか、
あんなこともあったねと笑って話せるときが
来ると信じて、
僕は今日もリングに上がる。  



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、阿須伎神社にもいらしてください。
友達との友情がより深まるかもしれませんよ ♪


お待ちしています。



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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