相撲 埴輪 縁結び
10年に一度の大寒波が日本中を覆っている。
こちら出雲でも既に雪が積もりつつあり、道路も凍り始めていた。今日ははやくに買い物も済ませたので、比較的落ち着いてnoteに向かっている(妻と買い物に行く時間があると8時までにnoteを書かないといけないので)。
実をいうと、落ち着いてなどと、のんきにいっている場合ではなかった。さっき、買い物の帰りの南北道路、ちょっと高低差のある橋を渡り切り、東西に延びている道路の前の一旦停止の場所でブレーキをしたところ、凍り付いた道路にスリップし、東からきていた大型のトラックにすんででぶつかりそうになったのだ。
なんとかブレーキが利いて止まったからよかったものの、あと少しで大惨事だった。やれやれ。
明日にかけて、大雪になるというが、いったいどれほど積もるというのだろう。既に洗面所の窓の内側にも氷がはっていたが、大したことにならないといいのだけれど・・・。
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正月に菅原天満宮に詣でたという記事を書いた。
菅原天満宮は名前の通り、菅原道真公がお生まれになった場所を記念して作られたものである。それはそれで凄いのだけど、実をいうともっと凄いものが菅原天満宮に祀られているのをご存じだろうか。
野見宿禰(のみのすくね)の墓である。
古代出雲の地理誌「出雲国風土記」によれば、飯石(いいし)郡条に「能見」という地名の記載があり、この地の出身とされている。
野見宿禰(のみのすくね)は、垂仁天皇のときに相撲のため出雲から呼ばれ、当麻蹴速(たいまのけはや)と対戦し、見事に勝利した相撲の始祖である。
相撲の始祖だけでも凄いことなのだけど、野見宿禰(のみのすくね)の功績はそれだけではない。
野見宿禰(のみのすくね)は相撲に勝利し、その後、垂仁天皇に仕えた。垂仁天皇のお后が亡くなった時、当時の慣例上、殉死をさせる風習があったという。そのとき、野見宿禰(のみのすくね)が「もうそういう風習はやめませんか」ということでかわりに埴輪を作ることを提案したという。
そう、野見宿禰(のみのすくね)は埴輪の始祖でもあった。
その功により、野見宿禰(のみのすくね)は土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなったという。
このことから野見宿禰(のみのすくね)は土師氏の先祖ということになる。そして、実は菅原道真公の父君は土師から菅原に改めた氏であり、野見宿禰(のみのすくね)の子孫でもある。
菅原天満宮の脇にある野見宿禰(のみのすくね)の墓は、出雲に帰る途中に播磨にて亡くなってしまい、分骨してこの地に墓を作ったものだという。
ひょっとすると、菅原道真公の父君は、先祖であるこの野見宿禰(のみのすくね)の墓を参ったときに道真公の母君を見初めたのかもしれない。そう考えると不思議な御縁を感じる。
縁結びの国・出雲で道真公の父君も野見宿禰(のみのすくね)にいざなわれ、恋も成就したのだろうか。ということは、野見宿禰(のみのすくね)は相撲の始祖で、埴輪の考案者でもあり、縁結びの神様といえるのかもしれない。
縁結びの始祖でもある大国主命もさぞ喜んだことだろう。
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今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
菅原天満宮にお越しの際は、野見宿禰(のみのすくね)の墓にも
お参りください。
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こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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