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本当の弱みは、意識すらしていなかった。

去年の今頃私は読書会の仲間と打ち上げをして、その時「私の強みは弱みを発信できること」と行った記憶があります。
(ドラッカーの読書会なので、よく強みや貢献の話になります)

だけれど、昨日の通院で感じた嫌悪感の正体は・・・
私は本当の弱みから目を背けていた。という事実だったのです。

何かと外出時は母の付き添いがないと行動できない私。
それをもっと噛み砕くと、「自分で決められない事柄がある」という衝撃の事実でした。

きっかけは花粉症の鼻水止めを飲んだあと痛み止めを飲んでもいいか、という判断でした。
一瞬、母に電話で確認を取りたいたい気持ちが湧きましたが、グッと堪えて、前の薬を飲んでから、8時間以上経過している、という判断を下し、服薬することに。(結果あまり効果なかったのは残念でしたが!(TωT)

そういえば、私、自分で判断できないことってまだあったのだなぁと思い知らされました。

今日はいつもより2時間早く目が覚めて、思わず母に電話しようと思いましたが、そこをグッと堪えて、この文章を書いています。
朝の過ごし方くらい自分で決めなさいと叱咤激励して。

私は買い物する時も決断が早いです。
飲食はもちろん、服を買ったり、雑貨を買ったり、時には数万の買い物もあるけれど、それも日頃の生活の軸がしっかりしているで、高くてもそれに見合った価値があると判断したら即決します。
そんな私だから「自分で決められない」ということがあるなんて全く気づかなかったのです。

久しぶりにジョハリの窓が開きました。
読書仲間と過ごしていても新しい自分には出会えませんが、主治医(とソーシャルワーカー)と話をしていると、自分の嫌な感情が顕在意識に出てきて、我ながらすごく引きました。

それを帰宅後はノートに書き出して、次回の糧にしようとする私の姿勢はさすがだと思います!
・・・こんな書き方をできるくらいには自分に自信がある。だからこそ、本当の弱いところは目を背けてきたのかな、なんて思いました。

まだまだやらなきゃいけない課題がある。
それは悦ばしきことです!


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