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善助漂流記(旅は続く)

 善助の漂流物語はまだまだ終わらない。善助のほかにもうひとり海の冒険に駆り立てられたご先祖様がいた。名前を瀧本万吉という。
 善助は妻の父方の先祖だけれども、瀧本万吉は妻の母方の先祖である。なぜか偉大なご先祖様はふたりとも妻の実家の先祖なのである。

瀧本万吉の肖像写真
(出典;小川平『アラフラ海の真珠:聞書・紀南ダイバー百年史』
あゆみ出版、1976)

 瀧本万吉は1885年(明治18年)和歌山県の周参見すさみで生まれた。善助と同郷である。善助が亡くなったのが1874年(明治7年)だから、その11年後に生れたことになる。

 1916年(大正5年)、31歳の瀧本万吉は神戸を出港し木曜島に向かった。木曜島はニューギニア島の南とオーストラリア北岸の間に挟まれたアラフラ海に浮かぶ小島である。 

アラフラ海と木曜島
(出典)
「木曜島への行き方3つを紹介! アラフラ海にあるトレス海峡の魅力とは?2018/11/20」
『シゲマロ通信 Webサイト』
https://business-eigo-global.com/travel/thursday-island

 日本から遥か遠く離れたこのような小島に、万吉はいったい何をしに行ったのだろうか。木曜島に移住してアラフラ海に潜って命がけで真珠貝を採り続けたのである。

 ダイバーの先駆者のひとりといえる。現在のような潜水具がなかった当時の潜水作業は、危険で過酷なものだった。万吉は常に潜水病の恐怖と戦いながら海に潜っていたに違いない。

 最終的に万吉が日本に帰ってきたのは大正14年(1925年)だったという。そして、1946年(昭和21年)に61歳で亡くなっている。

当時の潜水具のヘルメット
(出典)
「木曜島の真珠と白蝶貝の採取の物語|串本町」
『串本町 Webサイト』       https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/kizuna/mokuyoutou.html
 

 万吉は木曜島に移住する前は、大阪の九条警察署で警察官をしていたという。それがなぜ、警察官の職という社会的地位を捨ててまで木曜島に渡り、アラフラ海で危険極まりない真珠貝採りを続けたのだろうか?

 命を懸けての仕事だ。その代償として大きな収入を得るという目的は当然あっただろう。しかし、他に理由はなかったのだろうか。
 私の知る限りでは、万吉の内面にまで踏み込んだ記録は見当たらない。ただ、英会話が得意だったということは分かっている。

 ここからは私の勝手な想像になる。

 幼いころから周参見すさみの海を見て育った万吉は、善助のように船頭にはならないまでも、遠い海の向こうに行ってみたい、という思いが強かったのではないだろうか。英会話が得意になったのもその表れではないだろうか。

 海の向こうへの渇望が、万吉をアラフラ海での真珠貝採りへと衝き動かした。そして万吉には命の危険にさらされても挫けない強い意志があった。

 冒険心と強い意志、そして周参見すさみ生まれ。万吉の心のなかに善助に似たものを感じられてならない。

 善助といい、万吉といい、海の冒険に血がたぎる一族らしい。いや、そもそも私たちが日本人と呼ばれるようになったそのずっと前、倭人とも呼ばれていたそのずっと前、名もなき先祖たちは南からはるばる海を渡ってこの列島にコメを運んできたのではなかったか。

 そのまたずっと前、まだ列島が大陸と地続きであった頃、凍りついた大陸からマンモスを追ってこの列島に渡ってきたのではなかったか。

 私たちはみな冒険者であり漂流者ではなかったか。

貝殻の物語

砂浜で貝殻を探している少女
足もとには
骨のような白いかけらが
いくつも転がっている
風が吹きすさんでいる
言い損ねた言葉の数を
踏みしめた砂の数に換算する

岩礁に砕かれた波が
風に吹きちぎられ
乳白色の音符となって飛び散る
岩と岩との間に水たまりができ
水たまりと水たまりが水脈をつくり
水脈は時間を遠くに運び
時間は砂にろ過され
濃縮された記憶と
透明な音の雫になる

紀州口熊野周参見浦すさみうらの男たちの
血脈をたどれば
アラフラ海の木曜島で
真珠貝採りをしてきた男がいる
もっと遡れば
犬吠埼沖で船もろとも颱風に流され
メキシコのカリフォルニア半島で暮らし
古里ふるさと周参見に帰ってきた船頭がいる
枯木灘の潮風で育った男たちだ

長い海岸線に迷い込み
渥美半島の突端にたどり着いた時
伊良湖岬にある道の駅で
ヤシの実が展示されていた
イネを食べる人びとが
宝貝を求めて
大陸や南の方から海を渡ってきたのだと
ずっと思っていた
そのもっともっと前に
北の方から
凍った陸地を歩いてやって来ていたのか
列島の端
西南の海が見えるまで
歩き続けたのか

波打ち際に残った少女の靴跡は
波にさらわれ
小舟のように漂流する
初めて海を見たとき
心を揺らしたうねりが
風に乗り
貝殻を通って
少女の耳もとで渦巻く

(2023年6月14日 note 投稿)

裸形のモンゴロイド

夜空でつくったマントに
自分だけの星を配置し終わったら
賑やかに船出しよう
我らの祖先が
故郷の地アフリカを出立し
遥かユーラシア大陸を踏破し
マンモスと太陽を追って氷原を南へ下り
列島の南端に至り
何代にもわたって
棲みついた土地にも飽き足らず
筏に帆を張り
陽の降り注ぐ砂浜から
掛け声もろとも
漂泊の旅に向かったように

積み荷は
もつれた時間の束だけ
悔恨で湿ったシャツと
袖口の割れたボタンはそのままに
おのがじし
星座煌くマントをはためかせ
心は
裸形のモンゴロイドとして
波立つ舳先に立ち
瞬きもせず
ただ腕組みして
フンボルト海流よりもまだ暗い
海原をゆく

(2022年8月22日 note 投稿)

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 参考文献一覧 

『善助漂流記(その1)』~『善助漂流記(その4)』
 1.北杜夫『酔いどれ船』新潮社、1973
 2.佐野芳和
   『鎖国日本ハポン異国 MEXICOメヒコ  難船栄寿丸の13人』
   メキシコ・シティ発行、1999
 3.佐野芳和『新世界へ 鎖国日本からはみ出た永寿丸の13人』
   法政大学出版局、1989
 4.和巻耿介『天保漂船記』毎日新聞社、1977
 5.春名徹『世界を見てしまった男たち』文藝春秋、1981

『善助漂流記』(旅は続く)
1.小川平『アラフラ海の真珠:聞書・紀南ダイバー百年史』
  あゆみ出版、1976

(了)

(突然ですが)
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佳作に選ばれました。
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