月を見上げた話をしたい
満月を眺めると、時々思い出す。2003年の2月の夜のこと。
大学生だった私は、日本から遠く離れドバイ経由で飛行機を乗り継ぎ、約23時間かけて到着した東アフリカの一国・タンザニアに滞在していた。
以前『バブさんへの手紙』で書いたように、キリマンジャロの麓で植林活動をしていたのだ。
山での活動中は宿舎(というか家具も設備も何も無い、むしろ小屋)に宿泊していた。電気やガスは通っておらず、ライフラインは蛇口から出る水のみだった。皆コンクリートの床に銀マットを敷いて、毎晩寝袋で眠っていた。(余談だが私が日本から持ってきたのはキャンプ用の銀マットではなく、お風呂保温用の銀色のシートだった。あまりに薄くて毎晩背中が痛かった。買い間違えたとはいえ、アホすぎる。)
ある夜、私は宿舎に入らず、友人と外の草の上にずっと寝転がっていた。(ぺらっぺらのシートより寝心地良いかも…ではなくて!)せっかく南半球まで来たのだから、南十字星、サザンクロスを見てみたかったのだ。
日本だと南方の波照間島でしか見られない。今ここがチャンスではないか!
晴れてはいたが、少し雲がかかった夜だった。宿舎の外ではランタンの明かりの元に談笑する人達、南十字星を見るために寝転がってる人達、そして夜間警備をしてくれる、現地のウォッチマンがいた。
待てど暮らせど、その日は雲が多かったのか、南十字星は見られなかった。代わりに流れ星を何度も見た。私の地元も北陸のけっこうな田舎で、夜空はとても綺麗に見える方だと思っていたけど、星って宇宙にこんなに流れてたのか!という位、次々に流れていた。
友達と私は「お願い事、何にした?」「日本帰ったらやりたいこと」「私…大好きなオムライス食べたい!」「私は…熱いお風呂に入りたい、湯船にゆーっくりつかりたい!」…なんて、他愛も無い話をしていた。
そろそろ宿舎に戻ろうかというとき、風で流れて雲が引いた。見えたのは南十字星…ではなく、真っ白でまん丸の満月だった。私は思わずため息を漏らした。
「わぁー…きれい…」
すぐそばにいた背の高いウォッチマンも、真っ直ぐに満月を見上げていた。そして彼も呟いた。
「Safi sana...」
サフィサーナ、そのスワヒリ語は知らなかったけど、意味は分かる気がした。直感的に、同じ事を呟いたのだと思った。
私と目が合って、彼が微笑んで、月を指さした。やっぱり。
私達は月明かりに照らされて、しばらく立ちすくんでいた。やがておやすみの挨拶をして、彼は警備を続け私は寝袋に入った。南十字星は見られなくとも、幸せな気分だった。
・・・
月を見上げた話をしたい。
あの夜、私は初めて肌で感じたから。
文化も風習も歴史もルーツも肌の色も、何もかも違う人間と、同じ場所で同じものを見て、同じ気持ちになれたこと。お互いの母国語で、お互いの気持ちを分かり合えたこと。共通言語は無くても、そこに「ことば」があったこと。
それは数秒間の些細な出来事だったけど、私の人生にとって、大きな意味のある瞬間だったから。人間としての幸福感と、平和な気持ちに包まれた夜だったから。
・・・
アメリカで、白人警察官に膝で首を押さえつけられた、黒人男性が死亡した。そのニュースは世界を駆け巡った。それを受けて全米で抗議デモが広がっている。私は難しいことは語れないし、大きな事は出来ない。自分の無知や無力さに悲しくなる。
だから自分の体験から、単純なことから話そうと思う。どんな小さなことでも、大げさだと笑われても、心が震えた日のことを。
人間として生まれたなら、どの人も、どんな人とも、一瞬でも分かり合える事があるのではという可能性を信じたいから。
同じものを眺めて美しいと心を震わせたり、同じものを食べて美味しいと感じたり、同じ出来事で涙を流したり笑い合ったり。そして自分と相手の差異についても、向き合ったり話し合えたりする瞬間が。
それが全てのスタートで、全てのゴールのような気がするから。
月を見上げた話をしたい。
アフリカの黒い夜空も、そこに光る白い満月も、
どちらも本当に美しかったから。
※safi …スワヒリ語で「きれい、清らか、元気」など sana …スワヒリ語で「とても」
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