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【掌編小説】フォンダンショコラの思い出
好きなものを、好きと言えない時期があった。
わたしにとって、それは学生時代のことで、その一つが、「甘いもの」だった。
甘いものに喜ぶようなタイプじゃないよね。みんながジュース選んでも一人だけブラックコーヒー飲んでそう。同世代の子達より、ちょっと大人びてる。そういうイメージだったのだ。
そして、当時のわたしは律儀にもそのイメージに背かないようにと、甘いものが苦手な「キャラ」を演じていた。
実際のわたしは、超がつくほど甘党なのに。
そんな昔のことを思い出したのも、同居人の一人に、どういう風の吹き回しか、最近近くにできた喫茶店に行こうと誘われ、やってきたその喫茶店があまりにも昔のバイト先にそっくりだったからだ。
扉の質感、土壁の色合い、壁を伝う蔓。シンプルなメニューボードに、銀色のジョウロ。入り口横のカーテンがひかれた小さな窓。隠れ家のように、ひっそりとした佇まい。
高校生の頃バイトしていた喫茶店は、住宅街にある隠れ家的なお店だった。
初老のシルバーグレーがイカした、口数の少ないマスターが基本は一人で切り盛りしていた。
バイト終わり、たまにマスターは一言、
ーケーキ、ありますよ。
独り言のように、そう言った。
わたしは、それを聞くと、ありがとうございますっ!と言って、ルンルンで冷蔵庫へ向かうのだ。
ケーキは大抵、フォンダンショコラだった。
お店ではケーキを出していたけれど、なぜかフォンダンショコラが一番売れ残る率が高かった。チョコレートケーキや抹茶のケーキはすぐに売り切れになるのに、いつもフォンダンショコラだけ残る。
一度、売れ残ったケーキをもらって、大喜び、してたように見えたのか、それからというもの、売れ残ったケーキをいつもとっておいてくれた。
どうして人気ないのかな、こんなに美味しいのに。みっちりと詰まったチョコレート。これにさらにココアと一緒に食べると至福の極みだった。
わたしは、あの頃、一生分のフォンダンショコラを食べた気がする。
カウベルの音で現実に引き戻される。
カウンター席と、窓際にテーブル席が三卓ある、奥に向かって細長い、小さなお店だった。突き当たりの壁には花の絵が飾られている。多分、花はミモザだ。
外観は似てたけど、やっぱり違うお店だ。わかってる。
でも、窓から入った西日が、店内を柔らかく照らすその光景が、温度が、あまりにも知っているもので、うっかりすると泣きそうになってしまった。
あの喫茶店はもうない。地元を出てしばらくしてから通りがかったら、売地になっていた。
わたしたちはテーブル席に向かい合って座った。もう一人の同居人も一緒に来れたらよかった、と言うと、
ーあいつが二人で行けって言うから…
とぼそっと言った。え?と聞き返すと、同居人は、俺コーヒーにするわとメニューをちらっと見ただけで、こちらに渡す。
ーほれ、お好きなのどうぞ。
なにかはぐらかされた気がしないでもないけど、まぁいいや。
ー奢ってくれるんですかぁ?
冗談めかして言うと、
ーいいよ。
と、あっさり言われて拍子抜け。
マスターらしき若い男の人がオーダーをとりにくる。同居人はブレンドコーヒー、わたしはケーキセット。
ケーキはもちろん、フォンダンショコラで。