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ASDの私がポリシーを曲げるとき

ハングル検定を終えて、やや燃え尽き気味になっている。久しぶりに全力で勉強したからか、それ以降何かを頑張るやる気が出ない。

いつもならnoteを開いて、記事を書くボタンを押して、目についたもの、浮かんだもの、思いついたことを一気に書き出すのだが、それがなかなか上手くいかない。

頭がフリーズしているかのように、ただぼへーっとスマホと睨めっこする時間が過ぎていくだけ。
だから今、とりあえず思ったことをそのまま書いてみている。

どちらかと言えば、思いつくものがないと言うよりかは、脳みそが情報を入手することを拒んでいるような感じに近い。
新たな情報を手に入れれば、お得意の連想ゲームで過去の思い出なり、妄想の世界なりに飛んで話を膨らませていけるのだろうが、それが今は、ちょっとだけ辛い。

今まで記事を作ることにおいてChatGPTを使って来なかったのだけれど(翻訳は例外)、そろそろ頼るべき時が来たんじゃないかと思っている。

ASDは良くも悪くもこだわりが強い。
そのせいで、自分のポリシーを曲げることがめちゃくちゃ難しい。

私でいえば、自分の力だけで記事を書くということになる。
でも、今それに限界が来ている。来ている時がある。
ここで自分のポリシーを優先して、記事の質を落とすのはもっと違う気がする。
時には妥協も必要なのかもしれない。
そういう時期が来たのかもしれない。

ASDの人間が自分のポリシーを捨てる時は、2つの選択を天秤にかけた時に、こだわりを捨てる方が良いと思った時だと思う。
これは、こだわり特性の強さによるのかもしれないが、少なくとも私はそうだ。

気分の良い時は、いろんなところから何かを得ようともがいて、気分の悪い時にそれを全て手放し、助言を拒もうとする。
それが私のいつもの良くないやり方だ。

徐々に、「こだわり」じゃないものも取り入れていけたらいいなと思う。
そして、それを自分の物にできるように。

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栖山 依夜
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