毒親育ちでもアイドルになりたかった。
最近、デビューするアイドルが全員年下になった。
K-POPに普段から浸かっていると、アイドルの低年齢化に違和感を感じなくなってくる。13歳でデビューってなんだよ。10個以上違うのかよ。
でも、アイドルは何歳でも完成されている。K-POPも、坂道も、みんな人形みたいな容姿でしれっと地上波に出てくる。私が彼女たちの年齢の時は10人中10人に不細工だと言われるような見た目だったのに。
ここの違いはどこで生まれるのだろう。もちろん、見た目は大切だ。芸能界なんて見た目が10割の世界。顔が格段に可愛ければ、多少の演技力、歌唱力なんてどうにかなる。特に日本ではその傾向がある。
でも、顔だけでは芸能界は生き残れない。大事なのはメンタルだ。
メンタルは鍛えられるものではない。キャパシティーを超えれば簡単に精神は壊れるし、精神が強い人はさほど苦労しない。病まないために努力するよりも、元から持っている自己肯定感の強さが左右すると思っている。
自分を信じられる心と、周囲に支えられる環境を持っている人は強い。
残念ながら、毒親育ちはそれを持ち合わせていない。
幼少期から人と比べられ、自尊心を抉られ、褒めることはおろか、口を開けば「のろま」「出来損ない」「無能」「不細工」の罵詈雑言。「あの子はできるのに、なんであんたはこんなこともできないの?」
そう言われ続けて育った子に、自己肯定感なんて生まれるだろうか。
努力しなければ自分を好きになれない状態で、寵愛を受けて育った同年代と無理やり競争させられる。走っても走っても追いつけない。やっと近くまで来れたと思ったら、すぐに足元をすくわれる。必死に努力して身につけたハリボテの鎧は、周りの人間よりもずっと脆い。普通の人間とはスタートラインが違うのだ。
家族から「かわいい」と言われていたら、どこかの事務所に書類を送るような人生もあったのかもしれない。
もっと早くおしゃれに目覚めていたら、竹下通りでスカウトされる未来もあったかもしれない。
自分のことを磨いてあげたいと思える日が来たとき、私はもうそんなチャンスが残されていない年齢になっていた。
生まれ持った容姿を恨むことも、もちろんある。本当に可愛ければ、母親に「不細工」と言われることはなかっただろう。確かに私はあの時、一重で、団子鼻で、出っ歯でしゃくれた、背も低い、胸もない、目立たない、アイドルとは対極の位置にいるカースト最下層の女の子だった。
自分が可愛くない方に位置するということも、メイクをしなければ人前に出られないような顔をしていることも、知るには全てが遅すぎた。何もかも、間に合わなかった。
これから私はどれだけ努力しても、アイドルにはなれない。
あのキラキラした表情も、誰かを笑顔にさせるようなダンスも、身につけられるような年齢ではなくなってしまった。
人の目を気にしているうちは、きっとオーディションなんて受けられない。
遅いことを言い訳にして、今、私は何の特技もない平凡な女として生きている。
もし、タイムマシンを使って中学時代や高校時代に戻れたとしても、きっと私は今と同じ道を歩むだろう。
自分に正直に生きられるようになるには、あと数年かかりそうだ。
今でも、アイドルという職業の女の子を見ると「羨ましい」という気持ちと「苦手」という気持ちが同時に湧き上がる。私が行きたくても行けなかった場所。もうそんなことを言っている場合じゃない年齢だってことは十二分に理解している。だけど、まだ心のどこかでは諦め切れないでいる。
あの時一歩踏み出していれば、何か変わっていたかもしれない。
自分を信じられる心があれば。背中を押してくれる人がいれば。自分の心の内を明かせる人が一人でもいたなら、違った未来もあっただろう。
残念ながら、もう来世に懸けるしかなくなってしまった。
来世は人間じゃないかもしれないのに。
でも、せめて褒めてあげたい。こうして後悔できるほど、秘めた可能性を信じてあげられるようになった自分を。
かわいいと思いたい。腐らずに磨き続けてきた自分を。
声に出せば、そうなってくれるだろうか。言霊を信じていいのだろうか。
毎日、声を掛けようとするたびに「どこがだよ。嘘つきが」と、鏡に映る自分が蔑んだ目をしている。
いつか、心から言える日が来るだろうか。