運命を切り開く不屈の魂
整体院を開業して6年が経ちました。
最初は鎌倉の民家をお借りしてのんびりと仕事を始めたのですが、開業からわずか2ヶ月後、横浜のある場所での開業依頼があり、アパートの一室を借りて2店舗目を開業することになりました。
そこで借りたアパートがある場所は、過去に魚屋さんやお肉屋さん等が立ち並ぶ商店街として栄えていましたが、今ではわずか200mの道に整骨院が4店舗も並ぶ激戦区でした。
まさか、2店舗を一人で切り盛りすることになるとは想像もしていなかった未来です。
ですが、2箇所の整体院がそれぞれ軌道に乗ると、次に私のもう一つの夢、運動教室の開講に着手し、想像していた未来へと走り始めたのです。
運動教室を開こうと思ったのは、整体と運動を組み合わせることによって介護を必要とする方々を少なくできるかもしれない、そしてより多くの人々が健康で幸せな生活を送ることができる社会を作りたいという思いでした。
人生100年時代を、健康で充実した100年時代にしたかったのです。
それが今も私の企業理念です。
もう10年も前の話になりますが、私は整体院を開業する前に、ある3箇所の介護施設に頭を下げて研修させてくれませんかとお願いに行き、少しだけ働かせていただくことができました。
介護の現状と世界を知りたくて自ら研修をすることにしたのです。
そこでは、あらゆることを経験しました。
体を動かすことが困難な方のおむつ交換、お風呂での注意点、褥瘡がなるべくできないようベッドのシーツの敷き方等、普段の生活ではなかなか経験しないようなことばかりでした。
それだけでも介護士の方々の努力を感じます。
そして、どこの介護施設も職員不足で、まるで戦場のようでしたが、ある一箇所の介護施設はまた様子が違いました。
その施設は病院の一部でした。
ある日、普通にご利用者様にお茶をお配りしているとき、こぼしましたという体で、ある女性職員が私に熱いお茶をかけてきました。
案の定私は軽いやけどを負いましたが、その女性職員は一切謝罪することなく、薄ら笑いを浮かべながら、まるで何事もなかったかのようにお茶を配り続けていました。
私が驚いたのは、火傷の痛みよりも、彼女がなぜそんな冷徹な行動を取ったのか、その理由がどうしても気になりました。
その女性職員は、他にもご利用者様をつねったり叩いたりといった虐待行為を繰り返していました。
彼女の行動は、まるで人間としての尊厳を完全に無視したもので、目の前でそれが繰り返されるたびに、私は言葉を失いました。
私はそのことを施設長に報告しましたが、施設長は問題を認識していたものの、職員不足の方に苦しんでいたため、その行為に対して強くでることはせず、優先すべきは人手の確保だと判断し、注意を促すことはありませんでした。
それに見かねた私は、火傷を負わされたこともあり、研修生としての立場を逆手に取り、その職員を呼び出し、直接問い詰めました。
すると、彼女は泣きながらこう訴えてきたのです。
「もう限界なんです。気晴らしにやってしまいました」と。
その言葉と表情からは、心身ともに疲れ切り、限界に達した彼女の苦しみがひしひしと伝わってきました。
彼女の行為は決して肯定的に捉えることはできませんが、それが彼女にとっての精一杯の抵抗だったのです。
その病院施設は、認知症の方々を含む50人以上のご利用者様を、わずか7名の職員で見ていました。
※10年以上前の話なので今はわかりません。
ボランティアや協力者を含めても、人数は10人ほど。
さらに夜勤もあり、非常に厳しい環境でした。
これは、ご利用者様にとっても、現場の職員にとっても、決して良い状況ではないと思いました。
そして、最も厳しいのは、この過酷な現場で働く職員たちの給料が、とても満足のいく金額ではないことです。
いくら職業への誇りを持ち続けようとしても生活が安定せず、モチベーションを維持することは難しいのが現実で、これがまさに負の連鎖を生んでいるのではないかと痛感しました。
そして、この現実を目の当たりにして『このような負のワルツを解消しなければならない』と強く感じたのです。
その後、さらなる経験を積むため、運動と整体が融合したデイサービス施設で働くことにしました。
小規模な施設でしたが、そこで私がこれまで培ってきた整体の技術を新人職員に教える機会もありました(私自身も新人でしたが)。
そこで働きながら、整体と運動を組み合わせることが、介護が必要な方々を減らし健康寿命を延ばす可能性があると確信するようになりました。
ただ、すでに疾患を抱えてしまうと、それを治すのは容易ではありません。
そこで、シニアフィットネストレーナーの資格を取得し、そのための運動療法を自分で開発しました。
疾患が発症する前に予防医療としての活動を推進し、これを課題としています。
疾患を抱えないようにするためには、40歳前後から運動療法を取り入れることが、老後をより楽しく過ごすために重要だと考えています。
その後、自分の店舗で運動と整体を組み合わせたアプローチが少しずつ浸透していきました。
すると、開業した地域のある機関から「こちらで運動を教えてほしい」という嬉しい依頼が舞い込んできたのです。
私はすぐに返事をし、その施設の方々と打ち合わせを行いました。
この依頼は、私が予想していた未来の道ではなく、思いがけない新たなチャンスへの扉が開かれた瞬間でした。
もし、この地域との連携モデルがうまくいけば、他の市町村との連携も可能となり、さらに全国規模での協力が実現するかもしれません。
そうなれば、多くの機関と連携し、介護が必要な方々を本気で減らすことができると考えています。
また、現在介護のお仕事をされている方々が、今度は運動を教える立場として活躍できる未来も見据えています。
これが現実になれば、過酷な環境は生まれにくくなり、より多くの人々が健康で幸せな生活を送ることができるようになるでしょう。
そして、そんな未来に向けた第一歩として、その機関の協力を得てチラシも完成していました。
しかし、その夢が現実に近づく直前、コロナ禍が訪れました。
コロナワクチン接種後体調を崩し、重度の自律神経失調症を発症。
普通の生活が送れなくなり、一時は私自身が介護を必要とする状態に陥りました。
それは今でも非常に苦しい毎日です。
自分が思い描いていた未来とは大きく異なり、予想もしていなかった現実に直面しました。
その結果、2年間働くことができず、店舗もすべて失ってしまいました。
それでも、私はまだ希望を捨てていません。
今は素晴らしいお医者様と出会い、漢方を飲みながらゆっくりと回復しています。
また、私を応援してくれる顧客もおり、自宅を営業所として再出発を試みています。
そして、嬉しいことに、あの同じ機関からやはり運動を教えてほしいと再び連絡があったのです。
まだ夢は絶たれていない。
あとは私の体調が完全に戻り、復活できれば再スタートできる。
チャンスは一度きりではない。
思い続けていれば、何度でもやってくる。
私はそう信じています。
私はこの夢を決して諦めません。
もしかしたらこの地獄を経て、本当の理想が叶うのかもしれない。
その時には、想像もしていなかった未来が訪れるだろうと、私は信じています。