世の中には2種類の人間しかいない
シンニホンを読みました。
イシューからはじめよとシンニホン
お気に入りの実用書のひとつに「イシューからはじめよ」がある。今のワタシ、イシューからはじめられてますかね...?と何度も読み返している。2010年出版だが今も色褪せない。
著者は安宅 和人氏。アカデミック、サイエンス、ビジネス、それぞれの分野で活躍し官民を繋いだプロジェクトにも精力的。凄まじい経歴。
慶應義塾大学環境情報学部教授。ヤフー株式会社CSO(チーフストラテジーオフィサー)。データサイエンティスト協会理事・スキル定義委員長。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経科学プログラムに入学。2001年春、学位取得(Ph.D.)。ポスドクを経て2001年末マッキンゼー復帰に伴い帰国。2008年よりヤフー。2012年7月よりCSO(現兼務)。2016年春より慶応義塾大学SFCにてデータドリブン時代の基礎教養について教える。2018年9月より現職。内閣府総合科学技術イノベーション会議(CSTI)基本計画専門調査会委員、官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM)AI技術領域運営委員、数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度検討会副座長なども務める
この安宅氏の「イシューからはじめよ」の魅力はまた今度じっくり書くとして、9年振りの新刊「シンニホン」がおもしろい。
TEDでも話してるシンニホン。
ファクトベースで時代の変化と日本の現状分析して未来の人材と国に対する鋭い洞察と現実的な施策が熱いメッセージで書かれている。
物語というよりは過去→現在→未来の分析レポートと提言という感じなので冗長ですごく濃い。読むと疲労する。笑
印象に残った点は誇張抜きで膨大にあるが、2つだけ抜粋。
「スポンジ力」より「気づく力」
理解の早さや知識の多さよりも「なんかこれおかしくね?」と気づいて鋭い問いが作れて自分事にして解決へ推進できるヒトが強い。
課題形成力?というのかな。
仕事している中でも薄々感じていたが、図で示してくれて腹落ちした。
イシューからはじめよでも似たメッセージがあってブレてない。
思考、表現の武器としての国語の刷新
先日、この教材で勉強していたときに
母国語ですら、なんて感覚的で曖昧に扱っているんだ...と絶望した😂
数学、理科、社会、英語..などすべての学問の根底にあるのは、
「文章構成を正確に理解して、伝えたいことを適切に表現する能力」とさえ思った。
また、子をもつ親としても子の教育はどうあるべきかと漠然と考えていた。(結局は本人の選択次第だが、どういう機会を与えることができるのかと)
そこで刺さったのが思考、表現の武器としての国語の刷新について。
ひたすらな読書量や今までの国語でも論理的な思考や表現をする訓練にはなるだろうけど、たしかに体系的な思考の訓練は教育の中には組み込まれてない。今後教育の形が変わっていくかもしれないけど、遊び感覚で論理ゲームとか表現の機会をつくって本人が楽しめるように仕向けたい。
台風の目であれ
最後まで読んだ後、冒頭のページを見返して以下の言葉が目に入った。
世の中には振り回す側と振り回される側しかいない。台風の目と呼ばれる中心があるが、目は無風だ。晴天すら見えるときがあるという。その外でどれほどの暴風雨が起きていようとも。
世の中には2種類の人間しかいない。振り回す側と振り回される側だ。
嵐の中で上手にダンスするヒトもいる。それもいい。
でも、小さな竜巻でもいいから台風の目で在りたいと思いました。
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