【岩田温大學】GHQによる占領政策の実態
「被占領期」という時代区分
日本史の教科書を読んでいて不思議に思うことは数多いのだが、最も不可解だと思うのは、その時代区分の仕方である。「中世」、「近世」、「近代」といった時代区分の仕方もかなり怪しいのだが、これは解釈の相違ということもあるだろうから、ここでは論じない。だが、解釈云々を論ずる余地も無いほどに杜撰なのが戦後の区分である。全ての教科書で昭和二十年八月十五日を境として、戦前、戦後という区分がなされている。
だが、昭和二十年八月十五日から今日に至るまでを全て「戦後」として括ってしまうのは余りに社撰である。終戦から日本国の主権が奪われていた昭和二十七年四月二十八日までの期間、すなわち米軍に占領されていた「被占領期」という時期を一つの時代として明記せねばならぬはずである。
良くも悪くも戦後日本の在り方を定め、今日に至るまで大きな影響を与え続けているのが「被占領期」の政治的決定なのだ。「被占領期」を「戦後」の中に埋没させ、まるで戦後日本が一貫して主権国家であるかのように描くのは端的に言って誤りである。今日米軍基地の移設をめぐって政治が迷走を重ねているが、この問題の起源も当然のことながら被占領期にある。
「被占領期」に何が行われ、いかなる日本像が描かれていたのかを知ることは、今日の日本の課題を知ることに直接繋がっている。
「被占領期」の実態を虚心坦懐に見つめることを避けて日本政治を語ることはできないというべきであろう。
日本国憲法の欺瞞
小論は、今日に至るまで影響を与え続けた占領政策を概観することを目的としているが、占領政策の全てを論ずることはできないから、その中でもとりわけ日本に与えた影響が大きかったと思われる政策を取り上げる。具体的には、日本国憲法の制定、検閲、焚書、公職・教職追放について論じることにしたい。
まずは憲法である。日本国憲法こそが占領政策の最大の成果といってよいだろう。日本国憲法については様々な問題点が予てより指摘されている。
例えば、前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という箇所である。ぞっとするほどに主体性が欠如した一文だが、現実を眺めてみれば、日本国民が「安全と生存」を「諸国民の公正と信義」に委ねてきたわけではないことに気づく。現実に日本国民の「安全と生存」を守ってきたのは、自衛隊であり、日米安全保障条約に基づく米軍である。従って、憲法前文で謳われた「決意」とは、全く現実から乖離した「決意」だといわざるをえない。同様に、憲法九条の問題点も予てより指摘され続けてきた。
こうした憲法の内容に対する批判は傾聴に値するのだが、日本国憲法の最も深刻な問題点はその成立にある。紙幅の関係上詳述は避けるが、占領軍は圧倒的な武力を背景に、日本国民が尊敬する天皇の生命と引き換えに、米国案を受諾させ、あたかも日本国民が主体的に日本国憲法を作り上げたかのような幻想を捏造したのだ。
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