第11話 沼田、攻略完了
三月に入って北条方は、昌幸に取られた小川と 名胡桃の両城を奪い返そうと、 北条 氏邦に三千余騎の兵を与えて攻撃を開始させたが、 地の 利に 長けた真田方のゲリラ戦法の前にあえなく大敗を 喫し、激怒した氏邦は、沼田の南 利根川と 吾妻川の合流点にある 白井城の 長尾 憲景と戦略を立て、白井と沼田の二方面からの侵攻を計画した。
ちなみに真田昌幸は〝 安房守〟とも言われるが、これは、このとき攻めて来た北条 氏邦の 受領名が〝 安房守〟だったため、これに対抗して自ら名乗ったものとも言われる。
余談はさておき、 氏邦と 憲景の作戦決行の前夜は大雨が降り、おまけに 三峯山や 吾妻山からの雪解け水が大量に川を増水させたから、沼田にいる氏邦はとても 薄根川も利根川も渡れない。
名胡桃城を出て両者の動きの分かる 子持山まで出た昌幸は、
「 天が味方しているか・・・? この情況では氏邦はとても動けまい。ここは白井の 憲景に先制攻撃を仕掛けるか────」
と、万が一、沼田の北条勢が川渡りを強行した時に備えて、 唐沢 玄蕃らを対岸の川沿いに配置させ、名胡桃城には敵の襲来に備えて二百余名を残し、総勢千騎を従え出陣した。
対する白井城の長尾 憲景は、精鋭千五百騎を率いて城を飛び出し、昌幸軍の北へ回って一気に中山城を落として 陣を 敷く。しかしそれをとっくに見越している昌幸は、 雨乞山(沼田の東にも同じ名の山がある)に打ち登り、兵の半分を 予め中山城の北側へ送っていたから、 挟み 撃ちして 散々に憲景の軍勢を 討ち 崩す。
堪り 兼ねた憲景は退却を余儀なくされ、沼田の和田の坂辺りにまで敗走するが、 戦にあっては昌幸の方が一枚も二枚も 上手だったというわけである。
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