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メンデルスゾーンの手紙と回想

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フェルディナント・ヒラーが書いたメンデルスゾーンの回顧録をちまちまと和訳しています。 現在は更新をお休み中。2025年1月より、更新再開予定です!
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記事一覧

「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 58

第5章-19.ベルリン、1838年:お堅い哲学博士解説という名の蛇足(読まなくていいやつ) …

いわし
2週間前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」翻訳シリーズ再開のお知らせ

 ご無沙汰しております。いわしです。 「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる!シ…

いわし
4か月前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 57

第5章-18.ベルリン、1838年:新しい音楽への渇望 だけど一番重要なのは、できるだけ多くの…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 56

第5章-17.ベルリン、1838年:ベルリンであった良い事悪い事 五月からずっと故郷に滞在して…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 55

第5章-16.ベルリン、1838年:筆不精な文通相手ベルリン、1838年7月15日  親愛なるフェル…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 54

第5章-14.ライプツィヒ、1838年:『聖パウロ』ドレスデン初演の愚痴 もっといい話題に変え…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 53

第5章-14.ライプツィヒ、1838年 イタリアとドイツ もし僕が君だったら、受難週の祝祭のためにローマを訪れて、昨日あたりとぼとぼとそこを発ったところでしょう。君もそうしたんじゃないかとずっと思っています。  棕櫚の主日には、僕はいつも教皇の礼拝堂と黄金の棕櫚の枝に思いを馳せます。式典の次第や壮大さは、僕が今まで見た中で最も荘厳で素晴らしいものです。  君も同じものを見て同じように考えているといいなと思います。  君が教えてくれたミラノでの出来事と君のそこでの近況、リスト

「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 52

第5章-13.ライプツィヒ、1838年 セシルの出産と不調、子煩悩まっしぐらライプツィヒ、1838…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 51

第5章-12.ライプツィヒ、1838年 フェルディナント・リースの急逝  最近は、デュッセルド…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 50

第5章-11.ライプツィヒ、1838年 あがり症のヘンゼルト 詳しい手紙を本当にありがとう。僕…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 49

第5章-10.ライプツィヒ、1838年:不調と不安ライプツィヒ、1838年1月20日  ミラノの「戯…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 48

第5章-9.ライプツィヒ、1837年:お気に入りの自作、そうじゃない自作 新しいものの中で一…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 47

第5章-8.ライプツィヒ、1837年:ノイコムとノヴェロの話 指揮ばかりの二か月間は、作曲ば…

いわし
3年前
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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 46

第5章-7.ライプツィヒ、1837年:引っ越した新居が最高な件 ライプツィヒ、1837年12月10日  親愛なるフェルディナント、僕の方は送らなかったのに11月に手紙をくれて、本当に心からありがとう。信じられませんでした。  新居の手配、引っ越し、多くのコンサートと仕事の引き合い――僕のようなつまらない凡人はこんな感じで列挙するしかないけど、君のようなスマートで明るいイタリア人風に言うと――家主、居住者、そして定期コンサートの音楽監督という3つの職に着任したこと――これら