「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 48
第5章-9.ライプツィヒ、1837年:お気に入りの自作、そうじゃない自作
新しいものの中で一番よかったのは、ベートーヴェンの『栄光の瞬間』。ウィーン会議で会した三人の君主たちを称える、長いカンタータ(コーラスありソロあり他にもいろいろ約45分)です。
素晴らしい部分がいくつもあるけれどカヴァティーナは例外です。ベートーヴェンの壮大なスタイルの祈祷文なのですが、とにかく詞がみじめなほど間抜けで、「heller Glanz(明るく輝く)」と「Kaiser Franz(皇帝フランツ)」で韻を踏ませたあとにトランペットが大炸裂。
しかも今ではハスリンガーが別の言葉で替え歌にして、「音楽の賛美」と呼んでいます。そちらはさらに悲惨になっていて、「Poesie(ポエジー)」と「edle Halmonie(高貴なハーモニー)」で韻を踏ませられた挙句、よりバカげた形でトランペットが大炸裂です。
こうして僕らはドイツでの日々を過ごしています。
ダヴィッドが先日、僕の四重奏ホ短調を公開演奏しました。そして今日も「特別要請により」再演します。
この曲をどうやって好きになればいいのか知りたいです。前回は、僕が最初に弾いたときよりはずっと素敵だと思ったけど、まだ全然気に入ったなんて思えません。新しく書き始めた方はもうほとんど完成したし、こっちの方が良い曲です。
歌曲も数曲作りました。いくつかは君が喜んでくれそうだと思っていますが、僕のピアノ協奏曲の方はもしかしたら、なにこれって言うかもね。でも君のせいですよ。約束の曲、どうしてまだ送ってくれないんですか?
君は知らないかもしれませんが、音楽商のリコルディが、ヴィルヘルム・ヘルテル宛てにこちらへよく小包を送っているのです。だから君もいつか、その中に君の曲を混ぜるのかもね。僕のこのリマインダー、とっても上品でしょう!
僕は君の交響曲ホ短調(※)の総譜をパート譜から書き起こさなくてはなりませんでした。同時に入手した総譜(君の自筆譜)は、最初の楽章がほぼ全く違っていて、アンダンテアレグレットはドではなくシ♭だし、最後の2楽章もだいぶ違うし……はっきり言ってどうしていいか分かりませんでした。つい昨日、幸いにも写譜家から有名な古い楽譜を受け取ったので、そのまま一度演奏することが出来ました。
1月のコンサートのうちの1回にこの曲の演奏を予定していました。この曲だけで第2部を埋められると。真ん中の2つの楽章はとても素晴らしいです。今は中止せざるを得ません。
リストにくれぐれもよろしく。僕が彼のことをどれだけ楽しく頻繁に思っているか、よく伝えておいてください。
ロッシーニにもよろしく伝えてください、もし彼が僕とよろしくしたそうだったらでいいので。
そして誰よりも君からの、変わらぬ親愛を望みます。
君の フェリックス
※注:この交響曲は未出版。
解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)
前回に引き続き、1837年12月10日付のメンデルスゾーンの手紙を紹介している。3回に分けたうちの最後の部分だ。
人気の曲を何度も何度も再演するのはあんまり好きじゃないんだよね、という告白に続いて、新しく演奏したものの中で良かった曲を挙げている。
カンタータ『栄光の瞬間』op.136は、ベートーヴェンがウィーン会議の開催記念に作曲した曲。1814年に作曲されているが出版は1837年とのことなので、出版されたばかりの曲を取り上げたことになる。
この曲は、IMSLPで自筆譜を見ることができる。
メンデルスゾーンにこれでもかとこき下ろされている歌詞の作者は、アロイス・ヴァイセンバッハ(Aloys Weißenbach, 1766-1821)さん。歌詞の全文はこちら(The liedernet archive)などで見ることができる。
第5楽章の四重唱のところでGranzとFranzの押韻を見つけた。この辺がメンデルスゾーンのお気に召さなかった部分だろうか。
そしてさらにお気に召さなかったハスリンガー社から出版された替え歌は、こちらのサイト(ドイツ語)によれば歌詞をヨハン・フリードリヒ・ロシュリッツ(Friedrich Rochlitz, 1769-1842)さんが担当した模様。当時のドイツで一番権威のあった音楽新聞『一般音楽新聞』の創刊者で元編集長だ。
文才と音楽批評の腕はあったが、詩才はなかったってことなんだろうか……?
先日フェルディナンド・ダヴィッドの演奏で披露した弦楽四重奏曲第4番(op.44-2)は、メンデルスゾーン本人としてはあまりお気に入りの自作ではなかったらしい。
あまり気に入っていない曲が拍手喝采を浴び、特別要請により再演「させられる」気持ち、筆者には想像するしかできないが、少なくとも気持ちよくはなさそうだ……。
「新しく書き始めた方」というのは、第5番(op.44-3)のことだろうか。1838年の2月6日に完成し、初演は4月3日に行われたらしい。
op.44は3曲組で、第5番と第3番(番号は若いが3番が一番最後に作られた)が長調なのに比べ、第4番だけは短調とのこと。
歌曲もいくつか作ったとのことだが、1837年作曲とされる歌曲には、『6つの歌』(op.59)の第1曲『緑の中で』や、『4つの歌』(op.120)の第1曲『狩りの歌』、第3曲『南にて』などがある。ヒラー好みの歌曲はどれだったんだろう。
そしてヒラーのせいで上手く作れなかったとでも言わんばかりの『ピアノ協奏曲』は、第2番(op.40)。バーミンガムで大人気を博した曲のはずなんだが、ヒラーのような音楽家の耳と一般聴衆の耳は別物と考えているのだろうなあ。
そしてなぜヒラーのせいかというと、以前の手紙からずっと催促し続けている楽譜を、まだ送ってきてくれないからだそう。さすがに言いがかりだと思えるが、ヒラーもヒラーだよ早く送ってあげたら? とも思ってしまう。うーん引き分け。
リコルディとヘルテルはどちらも楽譜出版社だ。リコルディは1808年にイタリアで創立した、イタリアオペラ中心に楽譜を出版している会社。当時の社屋はミラノ・スカラ座の隣にあった。
ヘルテルは毎度おなじみ、ライプツィヒに拠点を置くブライトコプフ&ヘルテル社のヘルテルさんだ。
当時、出版楽譜は国をまたいで流通することがほとんどなかったため、一つの楽譜を複数の国の別の出版社から出版することが多かった。
リコルディさんとヘルテルさんが小包をやり取りしていたのは、そんな事情があったのかもしれない。
ヒラーももしかしたら、リコルディさんが小包を送る時に自分の楽譜を同梱してくるのかもね、と分かりにくい皮肉を飛ばしている。分かりにくい。つまりさっさと送って来いよという意味だとは思うが、それくらいリコルディ-ヘルテル間のやりとりは多かったのかな?
何にせよ分かりにくいよ……と思ったら「このリマインダー、上品でしょ?」と来たもんだ。筆者では逆立ちしても「さっさと送って来いよ」をこんなにお上品にはできないです。28歳男性可愛いですね? 京都の方ですか?
ヒラーの交響曲ホ短調は、注釈に「未出版」とあるので、1837年に出版されたop.4とは別物のようだ。以前の記事では別の作品を紹介してしまった。申し訳ない。というかホ短調なのにうっかりヘ短調の楽譜を探してしまっていた。楽譜が読めないデメリットがこんなところに現れてしまった……!
というわけで、こんどこそ交響曲ホ短調の楽譜、IMSLPでどうぞ。自筆譜も見られます。
ヒラーは交響曲のちゃんとした楽譜をパート譜しか渡さなかったようで、メンデルスゾーンはパート譜を見て総譜を書き起こさなければならなかったと恨み言を書いている。想像しただけで身震いがする仕事だ。一小節ズレたらと思うと気が気じゃない。
ヒラーの自筆譜である総譜も同時に入手していたのに何でそんなことになったかというと、ヒラーの自筆譜の総譜は間違いだらけだったとのこと。混乱しまくるメンデルスゾーンが目に浮かぶ。
1月に演奏する予定だったのに中止せざるを得ず、写譜家から受け取った別の曲を弾いているとのこと。
さっきはだいぶお上品だったが、今回は割とストレートに愚痴っているから、八つ橋……もといオブラートにくるみ損ねてちょっとはみ出すくらいには参っていたのだろう。
(比較的)長かったこの手紙も、ついに結びに入った。不倫旅行中のフランツ・リストにはくれぐれもよろしく、と伝えたすぐ次に、ロッシーニはよろしくしたそうだったらよろしく伝えといて、と若干消極的だ。
だけど誰よりも君からの親愛がほしいよ! とまた可愛いことを書いて、手紙は終わる。
しっかし、本当にロッシーニ苦手なんだなあ(笑)
次回予告のようなもの
1837年10月29日の手紙をようやく最後まで紹介できた。次回からは、年も改まった1838年1月20日の手紙を紹介する。
メンデルスゾーンの体調不良とその年のドイツの厳しい寒さについて書かれた手紙は、冒頭けっこう穏やかじゃない感じで始まる。
第5章-10.不調と不安 の巻。
次回もまた読んでくれよな!