戦争文学で反戦を伝えるには|逢坂冬馬×奈倉有里
翻訳文学とエンタメの架け橋
──お二人は以前からのお知り合いなんですよね。
奈倉 生まれた頃から知ってますね。姉弟ですから(笑)。
逢坂 はい(笑)。
──奈倉さんはロシア文学の翻訳者で『同志少女よ、敵を撃て』は独ソ戦を扱っているわけですが、執筆経緯でのお二人の関わりは。
逢坂 小説を書き始めた頃から、独ソ戦時のソ連の女性狙撃兵を描きたい気持ちはありました。歴史上の際立った存在でありながら日本の小説ではほぼ描かれてこなかったからです。でも、モチーフがあってもテーマがないと小説にならないし、参考できる資料が少なく、難しい素材なので迂闊に手が出せなかった。
2015年のアレクシエーヴィチさんのノーベル文学賞受賞が転機になりました。『戦争は女の顔をしていない』を読んで、内面から立ち上がるような戦争体験に圧倒されたことが小説の原点になったんです。同時に日本人の研究者による日本の読者向けの独ソ戦の本や、実在する女性狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコの自伝も出版された。この小説の前にナチス体制下のドイツにおける反抗少年団についての小説も書いて(新人賞は落選しましたが)、だんだん条件が揃ってきたな、と思って、最後に「戦争とジェンダー」という大きなテーマを設定して執筆にとりかかろうとした。
それでリサーチすると中央狙撃専門学校についてのロシア語情報が出てきて、これ読めたらいいなと思ったら、超幸運にも身近に専門家がいる、ということで姉である有里先生に翻訳をお願いしたんです。受賞後は人名や背景事実のチェックをお願いしました。ただ、僕としてはロシア文学から入ったわけではなく、戦争とその犠牲者の歴史を追ううちに自然にここに辿り着いたという感じです。
奈倉 そうですね。まあどこまで影響があるかという問題は案外難しいですけど、『同志少女』は結果としてアガサ・クリスティー賞でデビューし、先日は本屋大賞を受賞しまして、まずはおめでとうございます、ですね。
逢坂 ありがとうございます。
奈倉 私としても、確かに事前に狙撃学校の資料は翻訳したものの、応募作品は読んでいなかったんですよね。受賞後に読ませてもらったとき、個人的には二つの点で「すごいな」と思った。
まず一つは、歴史の有名な局面を小説として描く場合、どこかで「これはフィクションです」という予防線を張って描かれることが多いなかで、この作品は歴史に対する踏み込みに躊躇がない。怖いもの知らずというか(笑)、でもだからこそ読み手は、もっと歴史を知りたいという気持ちにさせられる。
二つめは、これは作品としてはエンターテインメントの読者に届くように書かれているわけですが、同時にエンタメ読者が普通触れることのないエレンブルグなんかが重要なところで出てきて、読者の心に残る。だから翻訳文学とエンタメの架け橋になってくれるような作品なんじゃないか、ここからソ連や現代ロシアの小説に興味を持ってくれる層もいるんじゃないかと思いました。
逢坂 ジャンルに関しては確かに意識的にやっていますね。そもそも「戦争もの」というだけで読者層がかなり男性寄りになってしまう。ジェンダーを扱うからにはもっと幅広いところに届いてほしかったので、登場人物は極力ポップにして文章も平易にした。
賛否両論が出るのはわかっていたけど、幅広く読まれるほうを選んだ。売れたいからというよりは、これまで戦争ものを避けていた若い人や女性にも読んでほしかったんです。無謀なことをしているのはわかっていたけど、結果的には狙った読者層に届いた実感があります。
奈倉 ロシア語をやっている学生が、「普段、軍隊ものとか女の子が武器持ってる作品などを喜んで受け入れてしまう感じの人にこそ読んでほしい、考えさせられると思う」と言っていました。
逢坂 それはすごく嬉しいですね。
なぜ戦争を描くのか
──奈倉さんは高校卒業後ロシアに留学し、「文学大学」という魅力的な学校を卒業されました。そのときの体験を昨年『夕暮れに夜明けの歌を──文学を探しにロシアに行く』に書いていますね。初めてロシアに行くとき、弟の逢坂さんの反応はどうでしたか。
奈倉 『この方法で生きのびろ!』という本をプレゼントしてくれたんです。ほとんどがそんな状況どこにあるんだという感じの内容(笑)。
逢坂 なにかあげなきゃ、って思ったんですよ。それで、「生きて帰ってこい」ってことを伝えたかったんだと思う。
奈倉 それは伝わったし、嬉しかったです。生きて帰ってこれた。
逢坂 自分なりに「遠いところにいく人に向けた歌」を集めたMDもあげた気がする。僕が尊敬する矢野絢子さんの「ニーナ」っていう、椅子の話を延々とする歌もあって、感動して泣いたって言ってくれてた。
奈倉 それは確か一時帰国のときだね。尾崎豊の「存在」も入ってて、あれはロシアで何度も聴いたな。
──『同志少女』は戦争を真っ向から描き、『夕暮れ』では現在のロシアのウクライナ侵攻の背景となる現実が描かれていますが、戦争を描くことの意味はなんでしょう。
逢坂 なにが嫌いって、戦争より嫌いなものはない。戦争が嫌いだから戦争のない日常を描くというのも作家としてはひとつの答えではあるけど、それでも世界で延々と繰り返されている戦争からいかにして遠ざかるかを考えるために、自分は戦争を描きたいと思った。
かつて祖父から聞いた戦争体験もそうだけど、戦争では人間の内面が変わってしまう。今回の小説では特に、内面のなにが変わるのかに焦点をあてた。最初から血も涙もない殺人兵器みたいな人間が人を殺すわけじゃなく、戦争という悪行のシステムの一部になってしまえば人間は容易に変わってしまう、その恐ろしさを伝えたかった。
奈倉 『夕暮れ』は小説ではなく随筆なので、描こうとしたというよりは、描かざるをえない現実のなかにいたんですね。ウクライナ人の友達もロシア人の友達もいるし、ロシア文化や文学だと思っているものは根源でウクライナ文化や文学と密接に絡んできたけれど、2014年以降はその両方にかかわる人々にとってあまりにもつらい状態が続いていて、どうしたらいいんだろう、という気持ちが絶えずあったんです。
逢坂 個人的には『夕暮れ』は、いまこそたくさんの人に読んでもらいたい本です。だってロシア軍がミサイルで爆撃をしたとか、ウクライナの人々が火炎瓶を手作りしてるとかいうニュースを見ても、この本に書いてあるみたいな、ロシア人とウクライナ人のもともとの近さとか、すごく魅力的な人たちとか、そういうのは伝わってこない。でもこれを読めば、ニュースの向こうにいる生身の人たちの大切にしているものとかが、実感をもって伝わるはずだから。
『亜鉛の少年たち』の現在性
──奈倉さんが翻訳されたアレクシエーヴィチの『亜鉛の少年たち──アフガン帰還兵の証言 増補版』が6月に刊行されます。1979〜89年のソ連アフガン侵攻を扱った本です。この本は初版刊行後、内容をめぐってアレクシエーヴィチを訴える裁判が起きるわけですが、今回の新版では、その裁判の記録自体を作品に組み込み増補した不思議な構成になっています。
奈倉 この本は「増補」の部分こそが大事なんです。アレクシエーヴィチは、この本を書いたことによって裁判を起こされる。まずすごいのは、彼女の描いた登場人物たちが「この内容は間違っている」とか、「自分はこんなこと言っていない」と訴えているのですが、法廷で話をするうちに、本文の内容とほぼそのままの語り口、視点で話しだしてしまう。図らずもありありとその「登場人物らしさ」を発揮してしまうんです。アレクシエーヴィチの聞き書きの技術がいかにすごいかが、むしろ彼女を訴えた人々の裁判記録から伝わってくる。
もうひとつは、これがソ連崩壊直後のベラルーシ共和国における裁判だということです。本の執筆から何年も経って急にアレクシエーヴィチを訴える人々が次々に出てくるという状況はかなり奇妙で、おまけに訴状が届くより前から裁判が決まっていた動きもあり、その裏には(この本でも書かれているように)アレクシエーヴィチに対する弾圧を目論む政府と軍部の思惑があった。ソ連時代に反体制派知識人(シニャフスキーなど)が弾圧された裁判によく似た裁判が当時のベラルーシでおこなわれたことは、その後のベラルーシの強権国家への回帰を予期させる不穏な出来事でした。
本編の内容としてのアレクシエーヴィチの狙いは、アフガニスタンに行った少年たちや看護師たちの言葉と、彼らを待っていた母親たちの言葉をどちらもそのままに再現することでした。この戦争の当事者たちは、たとえば母親につらい思いをさせたくなくて現地でのことを母親に一切話していなかったり、母親もそんな子供たちにどう接していいのかわからなかったりして、互いに対話ができなくなっている。それをこの本のなかで並べていくことによって、行き場のない言葉と言葉の接点を探っているんです。
逢坂 いまこの本を読むのは本当に、本当につらかったです。戦争にいく準備のできていない少年たちを、大義名分の欠如した前線にいきなり放り込むという点は、いまのロシア兵がウクライナに送られた状況に酷似している。日本では、ウクライナに送られた兵士が「知らなかった」「騙された」と言っていることに対して嘘じゃないかという憶測がありましたが、攻め込むつもりはなく演習だと対外的にも国内でもずっと言い続けていたロシア政府が、末端の兵士に説明などしているはずがないのは明らかです。
もちろんいまのウクライナの状況を見ていながら、前線で戦うロシア兵までをも憎悪の対象にするなというのが世界的に難しいというのはわかります。でもだからこそ、この本は読まれてほしい。戦争の悲惨さがウクライナの市民や兵士だけのものではないこと、だからこそ戦争を終わらせなくてはいけないということがよくわかると思うんです。
〔下記のリンク先より『亜鉛の少年たち』冒頭部分の試し読みができます。〕
戦争を描くことの両義性
──アレクシエーヴィチが『亜鉛』のための取材をしていた頃に戦地で綴った日記に、最新の地雷を見て「美しいと思ってしまうけれども、それはなぜか」と考える一節があります(ノーベル賞受賞講演「負け戦」)。裁判記録では『亜鉛』は「暗黒面」を露悪的に描いていると糾弾されていますが、これは残酷なものを読みたい読者のために戦争を興味本位の対象として晒す悪趣味だという指摘です。戦争文学は、一方では戦争の残酷さを描かなくてはいけないけれども、他方ではそれが娯楽映画的に「スリルを味わう」ような感覚で受容される面もあり、難しい問題だと思うのですが、この点お二人はどうお考えですか。
逢坂 僕はまさにその矛盾の塊で生きているような人間なのでほんとうに難しい。有里先生は見てきたと思うんだけど、昔から戦争は思想的には大嫌いなのに戦車や武器の写真は好きだったり。でも戦闘機の美しさは、よく考えてみれば人を殺すための機能美です。宮崎駿監督が『泥まみれの虎──宮崎駿の妄想ノート』で規範となる回答をしている。
宮崎さんの背後で子豚が読者の質問を読んでるんです。「宮崎さんは戦車のマンガなんかかいて戦争好きなんですか?」「戦車だけじゃないよ。大砲やヒコーキや軍艦も好きだよ」「そういう人だったの……」と。それで宮崎さんがイライライラってして、「じゃなんですか、エイズの研究者はエイズが好きで、異常犯罪を研究している者は犯罪者だとでもいうのかね」「いいかね!! 戦車が強そうとかカッコイイから好きなんてのはな、ただの無知のせいだ」「戦車も軍隊の愚劣さ、民族の幼児性、歴史の残酷さ、人間の悲劇と喜劇、そのすべての……結晶なのだ!!」「ウームおもしろい、なんという愚かさだ……」って言う。
宮崎監督はその葛藤のなかに生きてるんだと思う。押井守監督は最近その開き直りが行きすぎて、戦争こそ人間の本質だ、みたいなことを言うので、映画監督としてはともかく文化人としてはどうかと思います。矛盾を無理に解決しようとして開き直りになるのは良くない。
これは一種のフェティシズムなのかも。たとえば日本刀の愛好者は日本刀を振り回すために好きなわけじゃないけど、その美しさってやっぱり人を殺すためのデザインの機能美で、そういうことは考え続けていかなきゃいけないなって。
奈倉 逢坂さんは、かなり早い時期からそういう、「自分は思想と趣味が矛盾している」っていう問題意識を強く持っていたのを覚えているので、それは大事なことだと思います。
逢坂 奈倉哲三先生の指摘もあって。
奈倉 父ですね(笑)。父は歴史を研究してるんだけど、私たちが子供の頃から、新潟とか地方のお寺なんかにたくさん調査に行って、史料を集めたり高齢のかたの話を聞いたりしていて、なんとなくそういうのって大事なんだな、と思った。私がロシアに行くときも、「いましか話を聞けない人が必ずいるから、そういう人にぜひ話を聞きなさい」と言ってくれて、確かにソ連時代の体験とか、聞かないと消えてしまう大切な話はたくさんあった。アレクシエーヴィチについても、そういう「話を聞く」姿勢に一番共感します。
逢坂 『同志少女』も「俯瞰的な史料だけでなくオーラルヒストリーを収集して個々の兵士の内面に迫る」というのがテーマであり、考えてみれば江戸時代の民衆が明治維新をどう風刺していたかとかを詳細に分析する父の姿勢に影響を受けているかもしれない。
奈倉 私は個人的には戦闘機や武器を美しいと思ったことは一度もない。どんなことがあろうと戦場に行こうとは思わないし、美しいという言葉で思い浮かべるのは詩や歌や花や笑顔です。ただ、それを脅かす存在は常にある。これまで翻訳してきた本も自分で書いた『夕暮れ』も、必ずどこかに戦争の影があって、それを無視して平気な顔はできなかった。逢坂さんが戦争を突きつめて戦争を否定するのに対し、私は平和を突きつめて戦争を考えざるをえなかったのかもしれない。
それでも戦争の本を翻訳するのは苦痛です。今回も『亜鉛』の翻訳が終わってすごく嬉しくて、思わず登場人物の「この恐ろしい戦争はもう終わったんだ!」という言葉を叫びたくなった。そうしたらその瞬間、現実のほうでウクライナ侵攻が始まってしまって……。
戦争文学の「誤読」について
──アレクシエーヴィチの作品にしても、『同志少女』にしてもそうですが、作者が「戦争に英雄などいない」という立場だとしても、たとえば読者が登場人物の戦う姿に誇りを覚えて英雄視するようなことは起こりえます。こうした「誤読」の可能性はどうでしょう。
逢坂 『同志少女』ではその点は相当気を使ったつもりです。「戦うのか、死ぬのか」という二択を突きつけられる戦場で、どちらの選択肢も選ばないターニャという人物を導入することで、戦うことは不可避ではないと示そうとした。作中で戦後を描いたのもそのためです。
ただしウクライナ侵攻が始まってから、ものすごく一面的な見方をされたこともあって──「戦うのか、死ぬのか」という二択のなかで敵を殺すために少女たちが立ち上がる冒頭だけを抜き出して、それを現在のウクライナに重ね、祖国を守るウクライナの人々を賛美するという途方もない誤読がありました。
奈倉 そもそも戦争文学、あるいはもっと大きくいうなら戦争について書かれたすべての言葉というのは、きわめて誤読の温床になりやすいですね。
逢坂さんの本に対するそういう軽薄な誤読は論外ですが、これが戦禍の当事者となるとなおさら(もちろん無理もないことなのですが)強い思い入れや、戦死者への哀悼ゆえの誤読をしがちです。『亜鉛』の裁判記録に出てくる人々も、一度は自分が告白したことについて、たとえば「うちの子はもっと立派な将校だった」とか、「軍務を遂行するのは立派なことだ」とか、あるいは逆に「あの戦争は恥ずべき戦争だ」とか、それぞれの思いによって多くのものが見えなくなっていて、それは容易に他者への攻撃性につながっていく。
戦友や我が子の死が無駄であってはいけないという思いが、苛立ちや悲しみや怒りに結びついてしまう。戦争の暴力性は他者の言葉を理解する能力を致命的に鈍らせてしまうのではないかと思います。
──日本では小中学校の頃から「戦争は悪い」「平和が大事」という教育を受けます。でも実際こうして戦争を目の当たりにしてしまうと、そうした言葉だけでいいのか、何を基準に考えればいいのか、わからなくなる人もいるかもしれません。
奈倉 「戦争は悪い」「平和が大事」というのは簡単な言葉のようで実はものすごく大事なことなんです。なぜいまロシアが戦争をしているかといえば、とにかく「戦争は悪い」という声を徹底的に潰してきたからです。
学校教育でも「独ソ戦の勝利」を華々しく祝うことばかりが重視され、戦争の悲惨さや、それこそアフガン侵攻の歴史についてはほとんど学ばれていません。「自分たちは基本的に被害者であり他国を侵攻などするわけがない善良な国である」という教育をおこない、反戦運動をバカにするような世論を育てることは、戦争をしようとする国家が必ずと言っていいほど通る道です。ですから「平和が大事」と言える世のなかは決して当たり前ではなく、揶揄する人を警戒し、細心の注意を払って守るべきものです。
逢坂 「偉大な勝利」に幻惑され「戦争は良くない」という理念が共有されない問題は米国にもあり、日露戦争後の日本もそうでした。「戦争はよくない」という理念を共有できる空間は希少で、守るべきものです。
(初出:『図書』2022年6月号)