インド行ってヨガやめました ④
時々、反芻している
ヨガだけならまだしも、ヨガ仲間の非難、悪口、ネガティブなオンパレードがとまらない。
ネトウヨなら、まだまし。
自分は実在する元友人たちに対して誹謗中傷している。
最低な人間。くずだ。だから、まだ死ねないんだ。
ヨガをやめてしまったから、心の平穏を失ったのか?
「ヨガは、社会不適合者の増産工場だよね。」
「ヨガを目的にしてしまってるからダメだ。」
「ヨガが一番だと信じて、他の科学的な手法を拒絶している。」
「新しい概念に目を向けられない。」
「時代遅れの盲目信者どもが。」
「本当にいいものにも気づいていない。」
「ヨガに答えも悟りもない。」
「早く目を覚ませ」
「ヨガなんかしてるから狭い範囲の知識しか入ってこないんだね」
「スピリチャルは気持ち悪い」
止めれれない、この憎悪感で溢れる気持ち。
あんなに愛した男との関係が終わった時の言葉と似ている。
理由は、性格の悪さを発端にして、科学的に症状を説明できるようにまでなった。
脳の暇状態、前頭葉のダメージ、身体の慢性炎症。
他に何もしていない。自堕落生活。やることがない。会いたい人もいない。
恋愛も結婚も、嫌悪感でしかない。
これらは、向こうの問題ではなく、全てこちらの問題。
今にいない、もう過ぎた過去に、まだ起こりもしない未来にいる妄想状態。
マインドフルネス不在状態
マインドエンプティネス状態 ←個人的にはfull<Eemptyにしたい
真横に目の前にある訳でもないのに、感情を持ち込み暇潰しをしている。
マインドをフルに満たすために色々してきたのに、なんと皮肉な話か。
「入力」間違いの慣れの果てを体感中。
(ある意味、↑マインドフルネス)
あえて間違わないと正しさには到達できないという我流の哲学を採用。
そうこうしている間に、鬱に入っていきそうな予感がしてきた。
一瞬の隙をも与えてはいけないはず。
そう。だから、歩くことにした。
日常の動作を改善するのだ。
そうしたら、身体を使ってマインドが整っていくでしょ。
正しく「歩く」のが人生の目的。ダブルミーニングってことで。
ヨガの世界から離れた別の角度で、
科学的アプローチのトレーニング生活に切り替えた。
自称飽き性という、鍼灸の先生の勧めで出会った
今は自分にとって唯一の身体を動かすワーク
これも時を経れば、いつか卒業するだろうと知っている。
科学の進歩を大歓迎したい。
ハイテク万歳。電子機器・携帯は最新の方がいいに決まってる。
もう、自己承認するのはやめた。
他言する必要はない。
出会えたことを自慢する必要はない。
アピールする必要はない。
ヨガにはヨガのよさがあるのだ、否定する必要はない。
アスリート、ダンサー、甲子園球児、社交ダンス夫婦、バレリーナ、主婦、リタイヤしたエンジニア、リハビリのおばあちゃん、義足の少年
そんな人たちの中でトレーニングに集中する
今日も平和に雨の中、片道四キロ歩いていく。
帰りはバスだ。
アウトエッジの効いた独自開発のスニーカーは蛍光色。
生産数が少なすぎて、好きな色を選べない。
おじいいちゃんが、傾向ピンクのスニーカーを履いているシュールさがたまらない。
それを見たいが為に確認しにトレーニングに行くのかもしれない。
見ず知らずの他人と同じ靴を履いている。
ナイキを履いていも許される。同じじゃなくて全然いい。
年齢も性別も関係なく、お揃いのスニーカーが並ぶ。
「つながり」を感じる。
どこかほっこり安堵感。
心は解されていく。
マインドフルネスはそんな空間にあったらしい。
これが世界で唯一の1番のトレーニングだなんて1㎜も思わず、
せっせと歩く(=内観)してさえしておこう。
そしたら、この先どうにかなる。
おわり
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