海外の研究にみるシティプロモーションの系譜
企業ブランディングと地域ブランディング(場所のブランディング)の違いについて前回書きました。
企業ブランディングの目的は利益の最大化、地域ブランディングは産業振興、観光振興、移住/定住等々、目的も様々であるので、当然ながらブランディングの手法も異なるということを説明しました。
このような研究は、当然海外でもなされていて、日本におけるシティプロモーションとはどんな位置にあるのか、何をすればいいのかを改めて考える手立てになるように思います。
海外での研究については、私自身も研究途上ですので、今回はシティプロモーション(プレイスブランディング)の系譜についてのみ概観したいと思います。
図は、Hankinsonによる地域ブランディング(場所のブランディング)への学術的発展過程をまとめたものです(1)。実際の現場仕事はこの限りではないかもしれませんが、大きな潮流は見て取ることができるでしょう。
この図では、1960年代以降に3つの領域が根源になっていると解説されています。
ひとつは、「都市政策」です。そのなかで「地域商品」や「都市のイメージ」について言及され始めたとされています。
ふたつめは、「ツーリズム」です。つまり観光振興として「観光地イメージ」(Destination Image)が論じられるようになりました。これは、1970年代のことだとされています。
そして三つめは「マーケティング」です。企業が売上、利益を最大化するための科学として1960年代以降発展してきました。
そして三つの領域は、1980年代以降、それぞれの変化を遂げます。
「都市政策」からは、その一部が独立して「場所プロモーション」(Place Promotion)という領域が現れます。「地域商品」や「観光地イメージ」といった歴史発生的な事柄の段階から、一歩進んで、場所(観光地等)を積極的売っていこうという動きが出てきたということでしょう。
「マーケティング」は、商品やサービスを主な対象としていたわけですが(特にB to Cの商品やサービス)、商材として「場所」も対象となってきたことから、「プレイスマーケティング(場所のマーケティング)」という領域が生まれてきます。日本においても、鉄道、航空、旅行関係企業が80年代から観光地への広告キャンペーンを活性化させてきたタイミングにも合致します。JRが始めたスキー場への乗客誘致のキャンペーンである「JR SKISKI」も1991年から始まり、現在も継続されています。日本航空、全日空の沖縄キャンペーンが本格化したのも80年代です。
そして「プレイスマーケティング」は、2000年代に入り「プレイスブランディング」へと変化していきます。「場所」には非商業的なファクターも多数関係することから、マーケティング、すなわち市場形成に関するメソッドではカバーできない領域が多数含まれていることが影響していると思われます。
一方で「ツーリズム」から派生したものとして「観光地ブランディング」(Destination Branding)という領域が生まれたとされています。
そして、今世紀に入ってから、シティブランディング、ネーションブランディング、リージョナルブランディングに関する著作やことばが現れ、現在は「プレイスブランディング」(場所のブランディング)に収束してきているということをこの図では結論づけています。
また、この図を孫引させていただいた村山の論文(2)では、「シティプロモーションは発展期の 1 つに位置づけられているが、マーケティングといった経営手法を取り入れることで、地域のイメージを主体的に構築するブランディングへと収束した過程が見て取れる。」と説明しています(ただし、私の視点では、ブランディングとは消費者から見た経営そのものであると認識していますので「イメージを主体的に構築する」こととはやや解釈が異なりますが)。
日本の行政界では現在も「シティプロモーション」真っ盛りな感じではありますが、この図を見る限り、「プロモーション」はやはり「一部」として取り扱われ、大きな括りでは「マーケティング」ないし「ブランディング」という包括的な視点になってきているということを確認しておく必要がありそうです。
(1)Graham Hankinson (2015), Rethinking the Place Branding Construct
(2)村山徹(2016), 地方公共団体のシティプロモーションと広域連携