「地域ブランド」の根源に遡る

 行政が定めた「行政区域」という境界、その区域に名付けられた地名、その境界に基づいた地方自治などを我々はえてして所与のものと考えがちですが、よくよく考えてみると、それは近代に定めた後発的な枠組みに過ぎないわけです。

 「場所のブランド」というものを改めて考えてみるために、少しの間、現実の特定の場所や地名を忘れて哲学的なアプローチをしてみましょう。

 まっさらな「地」(場所)があったとします。たとえば写真のような所です。「私」はそこに立っています。その地に対して人はまず五感を通じて空間知覚します。視覚を重力感覚を通じて遠近、高低、上下、左右を認識するでしょう。その地の風や香りもあるかもしれません。身体で届く範囲ならば、地面や草木に触れて感触を確認するでしょう。こういった身体感覚で世界を切り分ける行為を哲学者市川浩は「身分け」(みわけ)と呼んでいます。

 五感で「身分け」された空間に対し、人間はことばを使うことができるため、名付けるという行為に発展する場合が多いわけです。あの形は「ヤマ」って呼ぼうか、サラサラ流れているのは「カワ」にしよう、遠い場所は「ムコウ」って呼んで、近いところは「コチラ」と名付けよう、というようなことになります。

 名付けることで、他人とそのことを共有することもでき、五感だけで感じていた時に比べて認識の方法が変わるわけです。このことばによる世界の切り分けを、言語学者丸山圭三郎は「言分け」(ことわけ)と呼んでいます。

 つまり、大きく分けると、人間は身体での空間知覚、それから言語による空間認識の二重の方法によって、世界に対面しているわけです。

 そこで、「身分け」以前のまったく未分化の世界を「空」(くう、universe)と呼びたいと思います。そして身体の五感によって分節された世界を「空間」(space)、さらに地名等のことばを付与することで顕れた世界を「場所」(place)、最後に規則や法律などの制度によって規定された世界を「地域」(region)と呼びたいと思います。

 我々は「地域ブランド」というときに、初めから地名を冠した商品などを想像しがちですが、上述したように、本来的には原初的な空間認識があるわけで、現在の行政区域の地名に縛られすぎること、商業的思考に偏りすぎることは避けるべきだと考えています。

 いい換えるならば、

現在の行政区域だけでなく、少し広域なエリアでのブランド化、あるいは逆に局所的なフブランド化を考えてみる
現在にこだわりすぎず、過去の地名や歴史からインスピレーションを得る
ことばではなく、五感で感じることにフォーカスを当ててみる(気温、湿度、香り、音、視覚的なインパクト等)

 このようなアプローチを改めて行ってみてはどうでしょうか。やや抽象的ではありますが、「地域ブランド」の発想が固定化してしまっているならば、時には視点を変えてみるのもいいと思います。

 それから、ブランドとは「記憶と経験の集合体」ですから、地域ブランド=場所に関するブランドを考える上では、その地での体験や経験がとても大きな意味を担ってくると思われます。地域産品は作れなくとも、強力な観光地や景勝地がなくても、その地での体験や経験を通じて、その地に対して愛着を感じ、特別な感情を抱いてもらうことが、場所のブランディングとして本質的に重要であると考えます。

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