『見えない都市』イタロ・カルヴィーノ
昔、お仕事をご一緒させてもらったイタリア人に、親愛の念を込めて、「ぼく、イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』大好きなんです」って伝えたら、「君は変わり者だね!カルヴィーノなんてぜんぜん面白くない」って言われた。
まあ、そうだよな。イタリア人だからといって皆がカルヴィーノを好きとは限らないよな…
と、はたと思い直した。たしかになんとなく、もやっとしていて、明瞭でない。誰かれかまわず虜にしてしまうような作品じゃない。
でも、そのぼやっとした感じが、好きなんだ。フォローさせて頂いている、黒川さんも、そういう感じが好きみたいで、勝手ながらシンパシーを感じる。
黒川さんの表現を借りるなら、「ただぼんやり無意識のチューニングがあう」、そのときに『見えない都市』を読み進めることができる。わたしはたまたま無意識のチューニングがあった日にカルヴィーノのこの本を手にとったから、その深い霧のむこうの世界に入ることが出来たんだとおもう。
そういうタイミングというのが存在するから、なんだかつまらないなあと感じた小説であっても、それはたまたまチューニングが合わない日だった可能性もある。
『見えない都市』に描かれているのは、モンゴル帝国の、落日の兆しが見えはじめる直前の、なんとなく気怠い空気に包まれた王宮にて、マルコ・ポーロの話に聞き入るフビライ・ハンの姿だ。
フビライは言わずと知れた中国、遊牧世界の覇者だ。しかしながら、彼は、弟をはじめ、たえず一族の内乱に悩まされ続けた。また、日本に侵攻して失敗した話(元寇)は有名だが、ベトナム、チャンパー、ジャワといった海洋国家への侵攻もことごとく失敗に終わっている。祖父であるチンギス・ハンのような輝かしい戦績は残していない。そして、フビライの死後、この大国家はその栄華がまるで幻だったかのように、滅亡へとむかって進んでゆく。
ちなみに、最近はマルコ・ポーロの実在を疑う研究もあるようだ。フビライの重臣となったというわりに、元の文書にはマルコの名前を見つけることができないから。「世界の記述(東方見聞録)」というのは、幾人もの旅人の記録をまとめたものである可能性があるらしい。
けだるげなフビライに、見えない都市の様子を語って聞かせるマルコもまた、いくぶんか幻に包まれた人物となっている。なんともカルヴィーノ的な事態であるといえよう。
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