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誰かのために書かない

2年前の私、怒っていた。

ふむふむ、転活中だから世の中に憤っておるな。
ちゃんと社会人をしておるじゃないか。言いたいことも言えずに。違和感の捌け口としてnoteを始めたはいいけど、やっぱり人の目が気になって文章を書けなかった。

そもそも、ものを書き始めようという時に
「これは人に伝えたい事なのか」
「世に出すほどの情報だろうか」
などと考えれば、手に取った筆はそこで折れてしまう。

「いま、書いてみようか・・?」という気持ちのまま書くのがよい。誰かに語りかけようとか、誰かの心を動かそうとか、地球を反対に回してやろうとか大それたことは考えず書き始めるのが心地よい。

けれど近年は、SNSでお気持ち表明を試みるも噛みつかれることって多いかもしれない。有識者が多すぎる問題。善意からなる「正義」が各所に現れ混沌としている。
「正しい」か「正しくない」かのジャッジの速度が早まっている。決めないって選択肢もあるんだょ..(尻すぼみ)

白黒思考は自分を苦しめるって事を小学校のうちから教えておいたらどうだろう。大人になるとみんなこれで苦しくなってるよ。予備知識として持っておけば、お守りになりそうだ。そんでもって、コントロールが効かない相手に怒って自分のために使えたはずの時間を不幸にしてる、そんな社会人生活はあんまりだ。

今どき何かを発信するにもこれだけ人の目が気になるのだから、人間ていうのは相当社会的な生き物なんだろうな。人をおもんぱかる世界選手権があったら何位になるんだろう。上位3名は日本人か、おそらくストレス社会に悩むアジアの仲間なのではないか(とんでもない偏見である)。

そうやって日々消耗するエネルギーって、仕事で使う体力の何割を占めるだろう?円グラフで言うなら「気疲れ」カテになるな。ほんとみんなお疲れ様です。私は頑張らないぞ!


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