【解説】竹田青嗣『欲望論』(3)〜近代哲学は「本体」をどう考えたか
1.カントの「物自体」
近代になって、「本体」の観念はカントの「物自体」の概念によく表されるようになった。
カントの「物自体」とは何か。絶対的認識も経験もされえず、しかしその存在の想定なくして「われわれの世界」の存在自体が考えられないもの、われわれの世界の総体を絶対的に可能にしているものとしての「真なる存在」。それは完全にアクセス不可能であるがゆえに「語りえぬ」ものであるが、われわれがこの世界に生きて経験する限り、その存在を否認することが決してできない「何かあるもの」。
この「物自体」の観念を徹底的に破壊したのはニーチェだったが、ニーチェ以後もなお、この観念はさまざまに形を変えて現代哲学の中に忍び込んでいる。
この「世界それ自体」、「本体」としての世界という観念は、キリスト教の「超越神論」が滅んだ後、近代哲学の観念論哲学の全体を貫く一つの根本観念となるが、ニーチェ「神の殺害」の一撃の後も生き続け、20世紀の現代思想にまで及ぶことになる。たとえば、ウィトゲンシュタインの言う「語りえぬもの」、あるいはポストモダン思想における「表象不可能なもの」の観念。そして、フロイトの「無意識」、ハイデガーの「存在」、ラカンの「現実界」、さらに、ドゥルーズの絶対的な「差異」、デリダの「アルシ-エクリチュール」。これらは、一見奇異に聞こえようと、どれも「世界それ自体」(=本体)の観念の現代的な変奏形態に他ならない。これらどの観念も、人間の経験世界(=現象)の背後にあって現象一般を可能にしている何ものか、しかしそれ自体は決して認識も表現もされえない何ものか、を意味する。
それが形而上学的独断論の形を取るのであれ、あるいは相対主義の形を取るのであれ、「本体」の観念は、現代の哲学においてもさまざまな仕方で忍び込んでいるのである。
2.ドイツ観念論
カントの後のドイツ観念論において、「本体論」に関する議論は前進と後退の双方を見せる。
まずフィヒテ。彼には大きな功績がある。
彼の第一の功績は、カント超越論的観念論をさらに「観念論」の根本意義を徹底化するところまで推し進めた点にある。ここでは一切の「存在」はただ「自我」(意識)と相関的にのみ措定され、「物自体」あるいは「本体としての世界」をはじめに前提することは厳密に禁止される。
フィヒテにおいては、「本体」の前提の禁止という、のちのニーチェやフッサールに先駆ける洞察が見られるのだ。
第二の、これはほとんど注目されていない功績。フィヒテの「自我」ではなく自ら思惟の運動を遂行する「事行」である。この概念は、ニーチェ的な「力」の概念、「我欲す」としての主体の概念を先駆する。
こうしてフィヒテは、いわば「欲望論」的構えの先駆でもあった。
世界それ自体などはない。それは徹頭徹尾、主体の欲望に相関して分節・認識されるものなのだ。
ところがシェリングによって、このフィヒテの功績は後退させられてしまう。
フィヒテの「主観的観念論」を、シェリングは「客観的観念論」へと差し戻してしまう。
それはつまり、あの古い「本体」を再び想定するということだ。
第一に、世界は聖なる「絶対的同一者」であるという宣言。第二に、それは「語りえぬもの」「不可解なもの」であり、知的直観においてのみ到達される、という託宣。
これはもはや「預言者」の言葉である、と竹田は言う。
ハイネの証言はここでも興味深い。ロマン主義的汎神論のスターとなったシェリングについて彼はつぎのように書く。ここまでくるとシェリングは哲学者というよりむしろ酔狂な「詩人」となった。シェリングはそのことで「たくさんの馬鹿者」から絶大なる喝采を受けている(たくさんの馬鹿者は、後にヘーゲルが「美魂」の語で呼ぶ宗教的熱狂者たちを指す)。
ハイネを受けて、竹田も次のように言う。
哲学が思考の原理的方法を見失い、世界についても人間についても新しい原理的な思考を創設できないとき、哲学的思考は、一方で挫折の意識からくる相対主義=懐疑論と「アイロニズム」を、他方で韜晦と謎言的話法によって虚妄な希望と救済を説く「予言の学派」を沸き立たせるのである。
哲学の敗北は、単なる相対主義に陥ることに加えて、その反対に、「世界の真理はこうなっている」と、検証可能性を度外視して述べ立てる「予言の言葉」としても現れるのだ。
続いてショーペンハウアーについて。
彼の哲学は、従来の「神」という「本体」を「意志」に変えたものと言っていい。
ただし、この「意志」は「盲目の意志」であるとしたところにショーペンハウアーの面白さがある。
彼は、「神」という「本体」が持っていた目的論的世界像を解体したのだ。
とはいえ、それが「本体論」であることに変わりはない。
この意志は世界の本体ではあるが“盲目の意志”である、すなわちここには究極目的も究極的価値も消え失せ存在しない。この独創的推論によってショーペンハウアーは、ヨーロッパの汎神論論的世界像の終焉を推し進める役割を果たしたが、ただしそれは、インド的世界像を介した厭世主義的観念の色調によって、ヨーロッパ的な本体観念を“脱臼”させたにとどまる。ヘーゲルはショーペンハウアーの人間哲学を指して「浅薄な思想家」と呼んだが、ヘーゲルのような本質洞察の力をもつ哲学者からは、人間の諸相についての彼の皮相的、厭世的、独断的論評がそのように映るのは理由のないことではない。
以上見てきたように、ヨーロッパでは長らく「本体論」が繰り広げられてきた。
しかしこの「本体論」は、ようやく19世紀末になって、ニーチェによって解体されることになるのである。
(続く)
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