読書記録『プレイバック』レイモンド・チャンドラー
すでに何度も読み返しているので、今回はじっくりと文体を味わいながら読んだ。
これまではハヤカワミステリの清水俊二訳を読んでいたが、今回は村上春樹訳。村上訳のマーロウは3作読んでいるけれど、例の名セリフをどう訳しているかも楽しみの一つなのだった。
フィリップ・マーロウのシリーズの中では「地味すぎる」と評価は決して高いとは言えない本作だが、個人的にはいちばん好きな作品だ。
「さらば愛しき女よ」や「長いお別れ」より「プレイバック」が好きだと言うと、小説通の友達からは怪訝な顔をされる。
「マーロウの恰好良さがよく出てるのは『大いなる眠り』だろう」とか、「ストーリーに悲哀さがある『さらば愛しき女よ』がいちばん」とか、「いやいや、やっぱりテリー・レノックスとの奇妙な友情がマーロウの真骨頂なんだよ」と『長いお別れ』を支持したり、それぞれがそれぞれに一家言持っている感じだ。
僕が本作を好んで読むのは、マーロウが過度に恰好良くもなく、若さに裏打ちされたタフさが前面に出るでもなく、それでも自分の矜持を曲げないという意志がいいバランスで混ざっているからだ。
人は誰でも歳をとるし、小説中のマーロウもまた歳をとる。
老境に至るにはまだまだ時間があるけれど、「ああ、もう若くはないのだ」と自覚する瞬間を経た後の切なさが、マーロウの口ぶりから想像できる。
もちろんダイレクトに口にしているのではなく、僕がとうに老いはじめているからなのかも知れないが。
チャンドラーと村上春樹の翻訳の相性は、僕が読んだ中では本作がいちばんフィットしているような感じがあった。
『さらば〜』のムース”大鹿”・マロイの純情は、原文に近い雰囲気を出す村上訳だとウェットにすぎて、『長いお別れ』のテリーとの男の友情みたいな話だとさらにウェットすぎる印象がある。
その点、『プレイバック』はシンプルなストーリーだからか、チャンドラー自身の少々くどい文体と、その雰囲気に合わせる村上春樹の翻訳にズレがない。とにかく読んでいて、スッと物語が入ってきた。これは読書では外せないポイントだ。
さて、本作に登場する名セリフの話。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
これをどう訳すか。
あとがきによると、村上春樹も翻訳を始める前から周囲の人に質問されたそうだ。
結局のところ、このセリフの難しさは「hard」をどう訳すかにかかっている。清水俊二は「タフ」と意訳し、村上春樹は「厳しい心」と訳した(どうして村上訳がこうなったかは、あとがきを読んでみてください)。
僕の感想だが、清水訳は盛りすぎで、村上訳はソフト過ぎという感じがする。
意味だけを汲み上げた超訳になってしまうけれど、僕は若い頃、このセリフをこんな風に書き換えた。
「生き延びるためには時には冷徹さが必要だ。だが優しさをなくしたら、もはや人として生きてはいけない。」
いま読むと、多くの作家の影響を受けすぎていることが良くわかる。