繕い物
昔なら武芸百般と言いたくなるくらい、若い頃はスポーツ万能だった。
飛び抜けてすごいというものは何一つなかったが —— もし競泳がその飛び抜けるものであったなら、僕はギリギリでオリンピックに出て、予選落ちをして誰の記憶にもの残らない程度の選手になっていたはずだ —— 、何をやらせても「そこそこ」はできた。
柔道や剣道の類も、球技にしても、やらせればサマにはなった。器用貧乏はその頃からいまも変わっていない。
家事もそうだ。片付けは病的に下手だけれど、キッチンだけはいつも綺麗に片付いているし、その日の終わりにシンクが曇っていることなどあった試しがない。
もちろん料理はなんでも作る。
魚をさばくのだってできるけれど、面倒だからやらないだけだ。魚が食いたければスーパーの鮮魚コーナーでさばいてもらえば済むのだし、それなのに自分でさばくことにこだわる必要がない。家事とは効率のことなのだ。
シャツのアイロンがけもシミでも作らない限りはクリーニング店のお世話になったことなどない。
クリーニング店でいちばんお世話になったのは、いかにしたら手早くアイロンがけをできるのかが知りたくて、自宅で開業しているクリーニング店のおじいさんに教えてもらいに行った時に違いない。
自分にとっては十分にこと足りるレベルではあるが、何でもそれなりにこなす僕が唯一できないのが針仕事だ。
なにせやったことがないまま現在に到るので、情けない話だがボタン付けすらできない。シャツやジャケットからボタンが取れてしまったらそこでゲームセットだ。あとは友達にお願いして付けてもらう他ない。
いい大人なんだから、いくらなんでもボタンくらいつけられないとしょうがないだろうと、何度かチャレンジはしたのだけれど、堅く縫いすぎて、ボタンホールを通しても止まってくれなかったり、遊びが多すぎてボタンホールをくぐったあとでだらんと首が下がってしまったり、最後に作る結び目の悲しいほどの下手さが原因で、何度か洗濯すると糸がちょろちょろとほつれてしまったり。
加減もわからなければ、始末もつけられないとわかって、自分にいかにセンスがないかを痛感して、針仕事は諦めたのだった。
僕はよく自転車に乗る。
ことにコロナの流行以降は電車に乗ることも控えて、自転車にばかり乗るようになった(自転車で行ける範囲にしか行かなくなったとも言える)。
乗り方が悪いせいもあるのだけれど、ジーンズがサドルに当たる部分がすれて薄くなってしまって、すぐに擦り切れる。擦れて青く染められた生地が糸だけになり、やがては糸が切れて穴があく。
おおよそ3ヶ月で穴があいてしまうのだが、それ以外は何がどうということもない。膝も出てなければ、裾も擦れてはいない。それだけに穴があくたび、「もう捨てるしかないのか」という気分になった。
アイロンで接着できる当て布を使って穴を塞ぐことも試したのだが、はき心地がよろしくない上に、イマイチ格好が悪い。誰の目に触れるところでもないのだが、こんなに格好悪いものを格好悪いと思いながらはいている自分が嫌になるだろうなと思い、修繕をやめてしまった。
ひょんなことで手縫いで穴を塞ぐ方法を知ったのだが、手縫いだろうがミシンだろうが、針仕事であることに変わりはない。
「そんなのうまく行くはずないよなあ」と、自信のカケラもないままボタン付けチャレンジの時に用意した糸と針を使って繕い物を試してみた。そうしたら、意外にもちゃんと空いた穴を埋めることができてしまったのである。
話のオチとしては面白くないことこの上ない。
ともかく処分するしかないと思っていたものが使えるようになった。使えるものを無駄にせずに済むのはいいことだ。
穴は塞がったが、お世辞にも綺麗とはいえない。
「実用第一。見た目は二の次、三の次である」と言い張ったところで不恰好な縫い跡であることは一目瞭然だ。
それでも不器用な人間が持ちつけない針を手にして塞いだ穴だと誰がみてもわかるような仕上がりは、それだけで何やら好感が持てた。
かつて、まだフロンティアが残っていた頃、ゴールドラッシュに浮かされた山師や西部開拓に賭けた男が、汚い安宿の暗い部屋の中で擦り切れを繕ったジーンズはこんな感じだったのだろうなと、僕の頭の中は想像でいっぱいになった。
リペアショップに持ち込めば綺麗に仕上げてくれるのはわかっている。専門の手にかかるというのはそういうことだ。でも、そうじゃないからこそ愛着が湧くということも確かにあって、不器用な上に苦手な針仕事を試みた痕跡は我ながら微笑ましく、愉快なほど愛すべきものになったのだった。
それにしてもひたすら針を刺し、糸を通して穴を塞いでいく作業というのは、写経とか坐禅に似たような感じがあった。
目の前のジーンズの穴も針先も、通ってくる糸も全部見ているのだけれど、見ていながらまったく見ていない、手は自分の意思で動かしているのに、頭の中では全然違うことを考えている、そんな感じがずーっとあった。
自分で繕えてしまうというメリットももちろんあるけれど、それ以上に頭が冴えてくるあの感覚には大きなメリットがあった。
始終繕い物をするわけではないけれど、新しい趣味としては上々な気がする。