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何冊もの小説作法を読む | Jun.29

このところまとめて小説作法とか創作の極意みたいな本を読んでいる。
このタイミングで、一度、しっかりとパターンを作ってしまおうと考えているからだ。
基礎づくりなど、誰にもせっつかれることのないアマチュアならではの特権だ。特権があるなら使うに越したことはない。

何にでも共通して言えることだが、基礎を固めてあると、迷ったときに強い。ポイントがしっかりと打たれていると、立ち戻る時にも迷うことはない。野球で言えばシャドウピッチングや素振り、柔道なら打ち込み、将棋なら詰将棋みたいなものだろうか。

書くときのセオリー、フォームを固めておくに越したことはない。
試行錯誤でもいずれは構築できるものなのだろうが、僕はまあまあせっかちなので、他人の知恵を拝借してしまおうと考えたわけだ。

とはいうものの、文章作法や小説の書き方の類は主観がすべてで、書かれていることは本ごとにバラバラ。字面を追ってしまうと、支離滅裂になってしまうのは確実だ。

そもそも作家や編集者といった書くことのプロフェッショナルが書いているのだから、文章作法の本が面白くないわけがない。
そうして権威に弱いアマチュアは、書かれていることに拘泥するあまり、何をどうすればいいのか、さらに迷ってしまうことになる。

その点、僕は「まず疑ってかかる」が基本的なスタンスなもので、書かれていることを間違っても鵜呑みになどしない。おかげで何冊読んでも迷わずに済むし、個別的なところを受け流しているうちに、概ねこんなようなことをやりゃ良いんだなと、文章を書くための川幅や、流れの速さがなんとなくわかってくる。そうなればしめたものだ。

ここ10日ほどの間に8冊の小説作法を読んだが、一番面白かったのは筒井康隆の「創作の極意と掟」だった。
「さすが筒井康隆!」と唸りたくなるし、実効性のあるアドバイスも多かったけれど、これをそのまま使える人は少数だろう。いや、少数よりさらに少ないかもしれない。

作家の丸山健二の「まだ見ぬ書き手へ」も面白かった。
でもこの本のまま作家を目指したら、めでたく作家になったとしても、そこには社会不適合者どころか、落伍者ができあがるだけになりそうだ。
丸山は「文学というのは、そうして気づかれていくものなのだ」と言いそうだけれど、さすがに今の時代に求められているものとはズレが大きくなっている感じが否めない。
(それでも「なるほど!」と膝を叩くアドバイスもいくつもあった)

共感という言葉は気色悪くて好きじゃないが、世界中に感染症が広がるのを経験してしまった今、文芸に求められるのは楽しさなのだと思う。
拙くても面白ければOKということではない。ごく少数にしか理解されないような、難解で複雑で、文学史に長く刻まれるような至高の文学よりも、読んでいる間はとんでもなく楽しい、ページをめくる手を止められない、そういった娯楽としての小説がより求められているのだと思う。

小説の書き方なんて、どれだけ時代が変わっても変わらないままなのかと思っていたが、それはどうやら違うらしい。
でも楽しいだけってのもほどほどにしないと、下手な小説だけが山積みになっていく予感がする。

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樹 恒近
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