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2月:フロランタンは時を越えて【短編小説】2200文字

「前から・・・綺麗な人だと、思っていました」
真っ直ぐに私を見つめるヘーゼルアイは、いつの間にか夜空に溶け込む深いグリーンに見えるようになっていた。
はっきりと発音されたその言葉は急速に私の鼓動を早めて、8年間が埋まっていく。


紅葉したミナヅキが入荷し始めた10月頃から、毎週火曜日の閉店間近に彼を見かけるようになった。
遅い時間に学生が花屋を覗いているのも珍しいが、それよりも彼の容姿に目が奪われる。
夜風にサラッとなびくブラウンの髪に、つぶらな瞳はヘーゼルアイだ。
最初は遠慮がちに覗いているだけだったが、店主の叔母が営業スマイルとは違う、本来の面倒見のいい笑顔で話しかけてからは、毎回花を買って帰るようになっていった。
そのうち、私とも話すようになった。

ラナンキュラスで店が華やぐようになる1月の終わり頃には、彼は紺色のバーバリーチェックのマフラーを巻いて、金曜日も閉店間近に来るようになった。
「塾、お疲れさま。帰ったらちゃんとゴハン食べるんだよ」
英字新聞風のラッピング用紙で小ぶりなオレンジ色のラナンキュラスを包む。
カウンターから彼を見下ろすとき、彼の瞳はいつも明るいブラウンに見える。
「はい。今日の献立はシチューになっていました。原田さんのシチュー、美味しいんです」
原田さんとは家政婦さんだ。
彼はフランス人の父親と日本人の母親のハーフで、父親をフランスに残し、母親と日本に住んでいる。
母親は化粧品メーカーでバリバリ働いているらしく、家事一切は家政婦さんが行っているようだ。
塾の帰りに花を買ってくるように言ったのも、この原田さんだと聞いている。
縁遠い世界の人間と、私はこのお店で繋がった。
高校から先に進みたい道が見つからずに悩んでいる時、叔母に声をかけてもらい、二年が経とうとしている。
「来週、受験なんです。なので、次の火曜日で塾は最後になります」
隣駅にある塾に通うため、彼はこの花屋の前を通っているのだ。
「そっか・・・がんばって!」
ラナンキュラスを渡すと、彼と目が合った。
「お姉さんの・・・アーモンドみたいな目を見ると、父がよく作ってくれたフロランタンを思い出します」
私はすぐにフロランタンがどのような物か思い浮かばなかった。

閉店作業をしながらスマホでフロランタンを検索する。
サブレ生地にキャラメルでコーティングしたスライスアーモンドが乗っているフランスのお菓子だ。
見たことはある。食べたことはあったかな?
気になって帰りに駅中にあるスーパーに寄ってみた。
一袋に数個だけ入って500円近くしたが、買って帰ることにした。

「あら、珍しいもの食べてるのね」
明日は休みのため、リビングでテレビを見ながら紅茶と一緒に買ってきたフロランタンをつまんでいた。
サクッとした生地に、アーモンドが香ばしい。
「おいしいんだけど、すぐになくなっちゃうよ~」
袋の中はもう2、3個になっている。
「作ってみたら?前はよくお菓子作ってたじゃない。材料は買ってこないとないけど」
花屋で働き出してから、花しか触っていないことに気付いた。
このままでいいのだろうか。
大学に進めるような勉強はしていない、かといって何か専門的にやりたいことがあるわけでもない。
叔母さんもよくしてくれるし、あのお店で働くことは好きだけれど、それでいいのだろうか。

翌日、近所のスーパーに行くと、季節柄か製菓コーナーが充実していた。
検索したレシピによるとスライスアーモンドの他に、アーモンドプールや生クリーム、それに薄力粉ではなく製菓用の米粉がいるようだ。
他の材料は家にあることを確認している。
最初に、米粉とアーモンドプールを使ってサブレ生地を作るのだ。
クッキーを作る要領で常温に戻したバターと砂糖を泡立て器で混ぜていくが、キッチンは暖房があまり効いていないせいで、バターがなかなか柔らかくならない。
辛抱強く混ぜ続け、サブレ生地を作っていく。
サブレ生地を焼いている間に、上のキャラメル部分を作る。
アパレイユというらしい。
キャラメルソースを作って、スライスアーモンドの他に砕いた胡桃を入れて絡めていく。
いつだったか、プリンのカラメルソースを作るときに焦がして失敗したことを思い出し、火加減に気をつけながら、混ぜていく。
キッチンは甘い香りに包まれていった。
焼き上がったサブレ生地に、アパレイユを塗り広げてまた焼いていく。
オーブンを覗くとアパレイユが生地から少し垂れて心配になるが、焼き上がると表面は琥珀のように輝いていた。
早く食べたい。きっとおいしいだろう。
彼にも作ってあげたい。

最後の火曜日、いつものように閉店間近にやってきた彼にいつもの簡易包装ではなく、ブラウンのラッピング用紙にピンクのサテンリボンを使い、白と薄紫のストックで花束を作った。
「この花束は君へのプレゼント。まだ見習いだから練習も兼ねてるんだけどね。あと、これも。お家に帰ってからみなさんで」
「えっ、ありがとうございます!わぁ、なんだろう!」
まだ高めの声ではしゃぐ姿は、年相応に見えた。
「中学受験、がんばります!」
「私もがんばります!」
ちょっと不思議そうに私を見るヘーゼルアイは、今日も明るいブラウンだった。


あれからフラワーコーディネートや製菓の学校に通い、今では叔母さんに代わって店主を任されている。
フロランタンなどの焼き菓子をハーブティーと味わう、小さなカフェスペースを設けた花屋になった。
閉店間近、夜風が店先のミナヅキをふわりと撫でていった。
「いいお店になりましたね」
私が見上げた先には、満月と共に、あの瞳が輝いていた。

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