遊びと学び
※この記事は速読の練習用として使えるように、主に太字部分を読めば1,2分程度で読めるように書かれています。ぜひやってみてね!
みなさんは遊びとはそういったものだと思っているでしょうか?少し考えてみてください。
多くの人は学習や仕事とは相反する位置にあるもの、だと思っているのではないでしょうか?
しかし、そもそも遊びとは何なのか、これまでいろいろな学者が様々な定義をしてきましたが、未だにこれといった確立したものはありません。
そして暇人は遊びと学びはイコールだという立場にいます。なぜそう思うか。いろいろと理由はありますが、それを支持する面白い実験を紹介します。(文体を間違えて書き始めてしまったので、ここからいつもの文体に戻します。)
トーキングタイプライターの実験
遊びと学習について、社会心理学者のムーアによって考案されたトーキングタイプライターによる文字の学習の実験というものがある。トーキングタイプライターとは、タイプライターとテレビが組み合わさったような機械である。特徴として、子供の反応に対してちゃんと受け答えをしてくれる。
実験はそのトーキングタイプライターを用いて子供に様々な学習段階を与え、その様子を観察する、といったものだ。
まずトーキングタイプライターを小部屋に置き、そこに、30分までならどれだけいてもいい、何をしてもいいしすぐに出て行ってもいい、自由に好きなことをしていい、として子供を入れた。もちろん何の指示もルールも与えられない。
すると、部屋に入れられた大体の子供は部屋の中央にあるこのタイプライターに興味を示し、触ってみる。そうしてテキトーに叩いていると、タイプされた文字が出て、同時にその文字の発音が聞こえてくる。Aを押すと「エイ」と答える。これが学習の第一段階だ。
子供たちには組織的に一列の文字をひとつひとつ順に試してみる子供もいれば、数字のところをいじって遊んでいる者もいる。また、デタラメにそこら中のキーを叩いてみる子供もいるし、同じキーをずっと叩き続ける子供もいる。子供たちはこのタイプライターの自由な探索を楽しむのである。
しかしそうしているうちに、この機械の構造が分かってきてしまい、子供は飽きてくる。
ここで第二段階に入る。
第二段階では、突然テレビの画面に文字が出て、続いてその発音が聞こえてくる。それと同時にこの画面に出た文字を除いたすべてのキーが動かなくなる。すると、動くキーを見つけようと一生懸命になる。
そして対応するキーを見つけ出して打つと、その文字が表示され、発音がされる。そして次の文字が表示される。これは子供たちにとって対応したキーを探す、いわばかくれんぼのような一種のゲームになる。
しかし、次第に子供たちはこのゲームを熟知しはじめ、また飽きてくる。
そして第三段階へと入る。
第三段階では一つの文字の代わりに、単語が画面にあらわれる。この単語は前もってその子供が日常でよく使う単語を調べ、それを用いる。
例えばAPPLEという単語が出てきて、初めはAのところに矢印がついている。こうしてA-P-P-L-Eと正しい順序で第三段階のように動くキーを探して押していくと、「A-P-P-L-E apple」と発音される。そして次の単語が表示される。
こうしているうちに子供はアルファベットの文字やタイプの打ち方などを知らず知らずのうちに学習していくのだ。
実は正しいタイプの打ち方を学習させるために、あらかじめ子供たちの手の指の爪とそれに対応するキーに同じ色を塗ってある。
これらはどの段階でも子供は直接何も、誰にも教えられていない。しかし、ある程度すると、子供は自分が知っている文字が意味を持っている単語になり、その単語を自分で書けるのだ、ということを突然理解する。この発見はとてもうれしいようで、興奮のあまりとびまわったり、誰かに話そうと部屋から走り出てくる子供もいた。
こうして子供は、誰に教えられることもなく、トーキングタイプライターというゲームをしているうちに、様々なことを学習していく。
遊びを学習の対立として考えていた人は、この実験を聞いてどうだろうか。学校の宿題や勉強のイメージで、“学習は苦を伴うもの”と思っている人も多いだろう。
しかし、ムーアは論文で、実験施設でのトーキングタイプライターを学習しに行く子供は、あきらかにこれから何か楽しいものが待ち受けている、という嬉々としたものだった、と報告している。
ここからはどうしても、学習をしている子供たちがそれを苦に感じているとは思えない。
子供も子供なりに知る喜び、発見する楽しさ、理解する嬉しさ、向上する楽しみを持っているのである。
そして、それを謳って「遊びを通して学ぶ」などと言う人がいる。それは理想であり一向に構わないのだが、それはやり方に問題がない場合だ。
多くの場合は遊びを餌、お菓子のようにして使っている。それは、子供たちの能動性、学びの楽しみを否定しているに等しい。
子供を、人間を、もっと‟学ぶ動物”として見つめ直すことが大事だろう。
遊びと学びというテーマは面白く奥が深いため、これからも多く取り上げようと思う。
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参考文献
知的好奇心-人間は怠け者なのか?(1973)波多野 誼余夫, 稲垣 佳世子