貧困相殺飯〜ありもので貧困を相殺する
貧困。「貧しくて困る」。嫌な言葉です。
ある人は給料日前に、ある人は慢性的にと、その差はあれど多くの人が貧困にあえぎ、また今はそれほどでなくても将来貧困になるかもと、ビクつきながら生きているのが今の末法の世です。
そのような末法の世を、どのようにしてサバイブしていけばいいのか。簡単です。貧困を相殺すればいいのです。
すなわち、ランチに1200円のパスタを食べたいけれど銭がなくて食べられない。その悔しさ、惨めさ、ストレスこそが貧困の正体であり、であれば1200円のパスタを現状の財布にマッチした飯にランクダウンすれば、理想と現実の間に生じた貧困は相殺されて、雲散霧消するのです。そしてこの際大切なのが、食事価格のランクダウンはしても満足度は下げないことです。
ヒンコーホウセイでもカンコンソーサイでもなく、ヒンコンソウサイ。貧困相殺飯の話です。
テレワーカーはプチ貧困に陥りがち
自分はテレワーカーです。
テレワークでは下手をすると家から一歩も出ないで1週間が過ぎてしまうこともあるので、昼食は気分転換を兼ねて意識的に外で食べることが多いです。
さらに1日の楽しみが乏しいため、つい帰りにポテチなど余分なものを買ったり、人とあまり会わないため見た目を気にしなくなり、好きなラーメンや唐揚げ定食を食べ続けて体重は激増。半比例して財布の中身は激減。生活が今すぐ困窮するほどではないけれど、人生がダルくなる程度には辛い「プチ貧困」がやってくるのです。
ここで普通なら「あ~、一生懸命生きているのにラーメンの一杯も食べられないとは。むなしい。死のう」と思うわけですが、貧困相殺飯を自作すれば、たちどころに貧困は消え去ります。では、始めます。
夏の名残りの素麺
貧困相殺飯は、冷蔵庫や食料貯蔵庫を漁ることから始まります。
午前の仕事もひと段落した昼過ぎ、台所に向かった自分は冷蔵庫や戸棚をくまなくチェックしました。
そうしたところ、夏の名残りの素麺3束と、卵、きざみのり、天かす、だし醤油を揃えることができました。これで貧困を相殺してみます。
作り方は簡単。素麺を茹でて軽く湯切りしたら、熱々のまま丼に盛り、卵の黄身を慎重に乗せ、刻みのりと天かすをぱらつかせ、最後にだし醤油をつらら~と垂らすだけ。要は釡玉うどんの素麺版です。
と、質素倹約ぶりを自慢すると、「はん?何が貧困相殺飯だ。だし醤油の素といったちょい高そうな調味料を使っている時点で貧困してない。貧困なめんな。慰謝料として1万円よこせ」と金銭を要求する人が現れるかもしれませんが、そうではありません。
念のために補足すると、この「だし醤油の素」は奥さんが出先で浮かれて買ったものの、もったいなくて誰も使うことができずに、半年以上腫れ物に触るような感じで冷蔵庫に鎮座していたものです。身の丈に合わない調味料ほど使いにくいものはない。この際貧困相殺飯に使って成仏させます。
ということで、だし醤油の素をつらら~と垂らせば、釡玉素麺の完成。お熱いうちにかき混ぜてかきこめば、なんとも幸せな気持ちに。
無事貧困を相殺することができ、成金のような顔でゲップをしたのも束の間、今度はザルにまだ少し素麺が残っているにも関わらず「だし醤油の素」がもうないという貧困がやってきました。
そもそもが数滴しか残っていなかったようで、なんでそんな空瓶を冷蔵庫に後生大事にしまっていたのか我が家は。貧困なのか!と、また貧困思想が心を支配しようとしてきます。マズい。
「じゃあ普通の醤油をかければいいんじゃない?」と、企画部の中堅社員のような顔つきでヘラヘラ提言する人がいるかもしれませんが、それは大間違いです。それでは第一弾の釡玉素麺よりランクダウンすることになり、その差分にこそ貧困が生じるのです。「さっきはだし醤油でブイブイ言わせたてた俺なのに、落ちぶれたなあ……」という感情、それが心理的貧困の正体です。
ということで再び冷蔵庫を漁ると、すき焼きのタレを発見しました。パッケージに「いろいろ使える」って書いてある。これだ!
すき焼きのタレを、ほんの少し、時間にして1.5秒分ぐらい素麺にかけて混ぜ合わせます。
自分は食レポが下手くそで、「美味しい」「めっちゃ美味しい」ぐらいしか語彙がないのですが、この味は的確に表現することができます。ずばり「すき焼きの最後のうどん味」です。
いや~下手に麺つゆかけるより美味いんじゃないやろかこれ。薬味も何もなくても、すき焼きを食べ終わったかのような贅沢な気分になり、貧困はどこかへ消えてなくなりました。
「ボロは着てても心は錦」ーー。日本にはそんな矜持にあふれた言葉があります。貧困相殺飯は、知恵と工夫で貧困を相殺し、心持ちだけは気高く贅沢であり続けるための飯なのです。王将のこってりラーメン食べたい。