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朝からティン・パン・アレー「キャラメル・ママ」を聴いている
〇月〇日
休日。朝からティン・パン・アレー「キャラメル・ママ」(1975)を聴いている。キャラメル・ママとは「1969年ごろ、全共闘運動のさなかに、大学周辺で活動家学生に対して駄菓子を配布して、暴力的な運動の中止と学業への専念を訴えかけた中年女性たち。転じて、「過保護な母親」を揶揄する表現としても用いられる」とウィキにある。先にキャラメル・ママというバンドがあり、のちにそのまま、ティン・パン・アレーになった。メンバーは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆(後に佐藤博が参加)。
そして出たアルバムタイトルが「キャラメル・ママ」。ややこしい。
70年代半ばの日本ポップスの愛しい音楽が詰まったアルバムだ。
過保護なキャラメル・ママという言葉は、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969)の冒頭で、記載がある。
ぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないかと思うことがある。特に女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、必ず「ママ」が出てくるのだ。もちろんぼくには(どなるわけじゃないが)やましいところはないし、出てくる母親たちに悪意があるわけではない。それどころか彼女たちは(キャラメルはくれないまでも)まるで巨大なシャンパンのびんみたいに好意に溢れていて、まごまごしているとぼくを頭から泡だらけにしてしまうほどだ。
さすがにスマホになった現代、電話に「ママ」が出ることはないが、「母親」の存在の大きさは、今もそう変わらない気がする。母親との関係はややこしい。特に娘にとっては。妻くんがそうで、母親から電話がきただけで、全身に湿疹が出るほどに。
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〇月〇日
キッチンの蛍光灯が切れたので、妻くんがスーパーに買いに行った。
「サイズが違っても、不良品以外は交換できません」
とレジの人に言われたという。
サイズが違ったので、交換してほしい、という客がたまにいるのだろうと思う。
〇月〇日
10月15日(日)12:00~15:00まで、渋谷ヒカリエ8F、渋谷○○書店にて、めがね書林がお店番をします。ので、私も付いて行きます。
私の本をお買いあげくださった方にはサインをします。私の本を2冊お買い上げの方にはいつものちょっとした特典を用意しています。新刊はありませんが、新作のお試し小説を二つ、持っていく予定です。
この機会に、ぜひ、お買い上げください。
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