見出し画像

私と救済の話。

大学に進学してからちょっと前まで、良い人間でいようと常に努力していた。

全ての人に優しくすることが正しくて、それができないと醜く、悲しい人間だと思ってた。元々そうじゃなかったから、かなり意識してなるべく良い人間でいようと頑張っていた。


大学4年の頃、一緒にいるのがあまりにも辛くて1人の友人と関わるのを辞めた時には、自分はこんなにも卑しくて醜いのかと、自分を嫌って責めた。週一くらいで遊んでた人だったのにな。


最近また1人の友人と関わる中で、何度か悲しい思いをしたことをきっかけに、同じように関わるのを控えることにした。

4年前とは打って変わって、スッキリするような、重荷が一つ取れたような気持ちになった。何となく、自分のことを自分で守れたような気もした。 


多分だけど、神様って全ての人を救えないんじゃないかと思う。じゃなきゃ世界はこんなふうになってない。

舟のように、乗せられる、守れるものにはリミットがあって、あらゆるものの救済は不可能で。

神にもできないのに、私にできるわけないのでは?と最近は思う。私が優しくできる、救える人の数にも限りがあって、関わる人全員にいい顔なんてできなくて。


ましてや自分を大切にしてくれない人なら尚更で、本当なら常に与える人であれば美しい気もするけど、私のキャパではとてもとてもできないことだと理解した。

2人ともすごくすごく好きな人だったから悲しいけど、自分に優しくない人に時間をかけるなら、他の大切にしたい人に目を向けた方がよっぽど良いし、心のモヤモヤも少し晴れる気がする。


私は出会っていくたびに、私の舟に乗せる人と、泣く泣くお別れする人を選別していく。

悲しいことだけど、卑しいことでも醜いことでもない。きっとそうだ。


彼女たちとお別れしてきっと、新しい人を舟に乗せたり、乗っているみんなにより大きな優しさを注げたりができると思うから。

いつも応援してくれるあなたに!
たくさん注ぎたいよね

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集