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生きづらさを愛と光へ!NO.14 人の考えは常に変わっていき、行動に移すことは可能である。

50年ほどの月日を自分の思うように行動できずに過ごしてきたが、いやいや、行動はそれなりにしないと生きれませんから〜なんですけど…

人には凸と凹がある訳で、凹凹ばっかりでは変化がない訳です。

私が凹凹の時、凸凸である回りの誰かに助けられてここまでやってこれました。

私は、40年もの月日を生きづらさに悩み、自分にモヤがかかった状態で過ごしてきました。

生きづらさからの悩みから卒業!と言っても、元々の性格や気質的なものは変わらないのだろうから、環境、付き合う人、本や独学で学んだこと、人から言っていただいた言葉などを、自分の心の中でどういう風に考え、行動するかで人生は変わるのだろう。

私は53歳という年齢で、ただでここまで生きてきた訳ではないが、納得のいく人生だったかと言えば、生きづらさで悩んでいる間は、全くそうではなかった。

心の中では別な考え方が存在していることもあるし、人に合わせてしまうことも多く、人が自分のことをどう思っているのか今思えば異常なくらいに気にしていたのだと思う。

今は本当にあまり気にならなくなった。
この気持ちの軽さが、もっと前にあったとしたら、自分なりに、もう少しは動けていたと思うが、これまた、わからない、今更だ。

中2の娘の気質的なものは、私に似たのだろうなと思うところは多々ある。
だからこそ、わかる。
人がどう思っているか、人の気持ちなんて、一生わからないよ、自分以外の心の中は絶対に見ることができないのだから、と娘にはよく話す。
いくら想像したとしても、あくまで想像でしかない。
娘もあと何年先かわからないが、わかる時が必ず来る。

にも関わらず、人がどう思っているのか、気になるから学校にも足が向かないこともあるのかもしれない。

私の生まれた環境が恵まれなかったのはあるにしても、雨風凌げたあの、田舎のポツンと一軒家風の家。

しかし、今の自分が1番行動しようと思えばできるのかもしれない。

まだまだ私は本当の意味で、自分の人生を歩んでいるとは言えない状況であるが、この状況も近々変わる可能性が高まった。

人生、この歳まで、何だかんだあったけど、生きてて良かったと思う今日この頃。  

今まで生きてきて、思い通りになったという記憶はあまりないが、子育ても終わると皆、それぞれやりたいことをやっているのかもしれないなと想像する。

しかし、ある程度自分の思い通りにやりたいことをやる、やれるということに、まだまだ想像ができないのである。

別な機会にまた書くことになるだろうけど、ここ最近、義母の認知症も進んできて、また、デイケアもショートステイも行かないと言いだし、被害妄想や、物事は全て否定、同じ屋根の下で暮らすことが困難になってきたのである。

私の中でも、家族の中でも色々な想いがあり、それぞれが葛藤するところもあるが、こうと決めたら、迷ったらダメと、ケアマネからのアドバイスもあった。 
同情もしたらいけないと…

少しづつ状況、環境も変わり、進む道も決まってくるだろう。

時の流れに乗るだけである。


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^




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