生きづらさを輝きに!NO.92 小さく産まれた娘を、甘やかしてきたのではなく、可愛がってきたのだと不登校気味の娘と接していて思い出したこと。
娘は今中2で、13歳である。
気が付けば学校にはあまり行かなくなっていた。
考えてみると、私も子どもの頃、学校へ行きたかったわけではなかったが、祖父が学校の先生を昔していて、とても厳しかったのと、それにプラスして、母親も10歳の時に亡くなり、父親は、子育てに無関心だった。
そんな家庭環境の中、家よりも学校の方がマシだと思っていた。
学校に行きたくない時に偶然にも熱を出して行けなくなって、ラッキーと思ったことは数回あったが、それ以外でも、休みたいと口にすることはなく、我慢して学校へも行った。
親には、学校を休みたいと言えなかったのである。
しかし、娘は違う。
私の小学生の頃とは、時代はかなり違うが、学校に行きたくない!と、親に言えるだけでも私は良いと思っている。
今の時代、小中学校を不登校という子どもたちは、少し前の情報で、約30万人。
思いの外、多い。
娘は極低出生体重児で産まれ、娘は2ヶ月入院。
母親の私は2週間ほどで退院。
先に家に帰ってきた私は、母乳を冷凍して、初めは、娘の顔見たさに、片道1時間半の道のりを姉に運転してもらったり、夫に運転してもらったりして、車で毎日のように通った。
私が車の運転ができるようになって、毎日から、だんだんと1日置きや、2日置きに通ったものだった。
今現在の中2の娘だけを見ていると、そんなことすっかり忘れていた。
そうだったよ。
大きな病院へ入院して、いざ帝王切開となった時、初めは、心音も聴こえないと、慌てて看護師さんが聴診器で探していたが、結局聴こえた、と言われ、ホッとしたのだった。
一瞬、青ざめた。
その時は命さえあればと、神様、仏様と心の中で祈った。
もちろん私の命も助けてくださいという思いで。
まだその時は死にたくなかった。
息子たちもまだ小学生だったから。
かと言って今もまだ死にたくはない。
下半身麻酔だったので、テレビドラマのように広い手術室の1つのベッドの上で、医師や看護師さんの、どうでも良いような会話も聞こえてきた。
娘が産まれた日は、満月でもないのに、産まれる人が多くて超忙しかったみたいだった。
現にうちの娘の帝王切開が2時間以上遅れたことは言うまでもない。
私はすごく眠かったが、自分がそのまま死ぬのは怖かったので、寝れないし、こんな大事な時にと思いながら、お腹の皮がぐい〜と伸ばされ引っ張られたような感覚だったことは未だに覚えている。
そのことを振り返ると、不登校くらい……
くらいとは、言い方〜〜!!
と突っ込まれそうだが、そう思ってしまう。
人間って忘れる生き物。
昨日、一昨日と、最近にしては珍しく、凄く気持ちが重たく、やる気は一切起きなかった。
この前、弟に貰った高橋克明さんの本に、ニューヨークに渡った渡辺直美さんのインタビューのことが書かれていた。
渡辺直美はさんは、こう言っていたそうです。
そう、渡辺直美さんが言うと、いろんな方からコメントが殺到したそうで、みなさん、明るい渡辺直美さんもネガティブなことがあるんだと、安心したのだと思います。
私もこの部分を読んで、ポジティブ、ポジティブと思っていたけど、ポジティブが良いことと思い、最近の私はネガティブを忘れていたように思う。
ネガティブは悪いこと、いやいや、それ、カウンセリングで教えてもらっていたよね、ポジティブな自分は良いかもしれない、けど、ネガティブな自分も受け容れる、丸をする。
「ネガティブな自分も大切にしてください」と言う渡辺直美さんの言葉は、私の心にとても響きました。
落ち込んで、ネガティブな自分も大切なんだ、良い時も悪い時も全てを受け容れる、そこはカウンセリングで教えていただいたことと同じだった。
そんなことを思い、また前向きに進んでいけそうです。
まだまだ読みかけの高橋克明さんの本に書かれているお言葉と、渡辺直美さん、他の方々のお言葉に気持ちが救われます。
ありがとうございます。
確かに人間は、陰と陽 光と陰、裏表が必ずあると言う。
人間生きていれば、そんなにポジティブな日ばかりではない。
ネガティブな日があって当たり前なのだ。
そのことも、私がカウンセリングを受けていて、何度も教えていただいたはずなのに、やっぱりどこかで忘れていた。
ネガティブな日も受け容れるということを。
不登校に対して、入ってくる情報として、SNS、テレビ、本、知人、友達、姉弟、病院関係、学校の先生、新聞、色々あるが、どれも完全!完璧!コレ!と100%言えるものはない。
結局は、不登校中の子どもと、その親が大半を決める。
私たち親の想いと、色々情報をまとめて、下した決断が不登校気味の娘の毎日を決めている、と言いたいが、それも違う。
人間ひとりひとりが考え方が違うように、中学生の子どもたちも、不登校にしても、生きづらさにしても、生きづらいと感じていなくても、それぞれなのである。
親がいくら何と言おうと、結局は全て、娘の考え、想いで、学校へ行く、行かないを決めている。
娘の人生は、親の人生ではない。
娘は娘できっと、色々考えている。
本当は行けるものなら行きたいのだと思う。
うちの場合は、吃音という症状が、心の根っこの部分に根強くあるのだろうけど、そのことが1番のネックで、発表関係がある日は行かない、行けない、と思うのだろう。
娘の話を聴いてみても、全て親に話すわけがない。
私は昨夜寝る前に、なかなか寝付けず、娘もどうやら眠くないみたいだった。
私は2日ほど色々考えすぎたのもあるが、夫は仕事柄、この時期は日常に更に輪を掛けて、忙しく、なかなか帰宅しない。
帰宅するまでに、ソファーでいつのまにかウトウトしている私である。
朝起きる時間は変わらないので、この時期は確実に寝不足である。
そんな中、昨日寝る前に、アルバムを数冊見てみようと手に取った。
久しぶりにアルバムを見たので、とても懐かしかった。
その時その時の娘や息子の写真を見ると、それなりに自分なりに、親として一生懸命に育ててきたよなって感じた。
逆に今の私には悔いなどない。
それが全てだったと思うから。
この幼い子を、ただ単に甘やかしたのか?
まあ、noteの記事に何度か取り上げ、甘やかしたと、書いたが、とても可愛かったのは間違いない。
上2人が男の子、1番下に産まれたのが女の子だったら、喜びもまた、ひとしおだったことには違いない。
家族中、親戚中そう感じただろう。
逆に男の子でも全然良かったのは良かった。
元気で産まれてきてくれたら、それだけで。
ある意味、甘やかしたのかもしれない、しかし、甘やかしたと言うよりも、愛情を掛けて育てたと、どちらかと言うと、そっちかと母親の私は思っている。
アルバムをたま〜に見てみると過去のこの頃、何やってたんだろうなと懐かしい。
アラフォーくらいまでは良くアルバムも見ていたが、アラフィフになれば、そんなに過去を見直すことは無くなった。
むしろ前しか向かず歩いているとも思う。
ある意味悲しく、ある意味過去に振り回されず、今だけを生きている前向きなことかもしれない。
家族中で、娘に愛情をかけ、可愛がったのだと、正直その気持ちが強かった。
親である私達は、初めから我が子が不登校になるとは思ってもいないし、ましてや、子どもは子どもで、自分が不登校になるとは思ってもいなかっただろうと想像する。
学校側は学校に来るように言う。
先生はそれが仕事だから当たり前かもしれない。
先週の木曜まで、その週は一度も登校できてなかった。
先生は家まで来ると仰ったが、娘にはそれが一番やってはいけないことのような気がした。
娘は凄く嫌がったし、私も身構える。
電話で話して、金曜は行くと言ってるので待ってやってくださいと伝えてもらった。
結局は、月曜の昨日は、遅れて行きます、と学校に電話をするも、行くことができず、お昼前にもう一度学校に電話して、事情を話し、行けませんと言った。
娘は昨日の夜もあんなに寝付けてなかったが、朝から、かったるそうに起きてきて、朝ごはんもそこそこに、今日は学校へ行った。
ある意味、それだけ休んで学校に行ける娘は大物かもしれない。
私だったら、行く勇気はない。
学校に行きたくないという娘に、行きなさいよー!!と言うのは違うと思っているし、無理やり学校に行かせることをすると、恐らく、精神面がおかしくなるだろう、そう思う。
学校と娘に板挟みの母親の私であるが、娘は娘で、先生と親に挟まれてると言う。
確かにね、上手く言ったもんだ。
まだまだ不登校気味の娘と向き合うことは、続きそう、いや続くのである。
思いの外、長文になりましたが、
最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^
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