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生きづらさを愛と光へ!NO.59 自分のやっていることや、発言、発信することで、どこかの誰かの役に立つということがあるってことを実感した話。
久々に、つぶやきではなく、記事が書きたくなった。
そんなに特別なことがあったわけではないが、すごく自分が嬉しい気持ちになったからに違いない。
今日は、中3(受験生)の娘が、3月まで、児童デイサービスを使えるように、福祉課の方の聴き取り調査を受けるという日だった。
と言っても、児童デイサービスに行けるのはたった後2回しかないのだけれど、今月11日(土)に行って、それっきりプッツリと、児童デイサービスに行けなくなるのは、何か、何か、尻切れトンボ的な、そんな感じになるのが何とも嫌な感じで、2か月のために動いた。
と言うか、私が勘違いして手続きをしなければいけないことを忘れていたと言うのか…
初めは、本当に小さい子に聞くような質問だったので、え?と思ってたが、次第に現在の話になった。
質問というのは、お箸でご飯は食べれますか?
野菜は食べれますか?
トイレは1人で行けますか?などなど…
一年前にも同じことを聞かれたとは思うが、聞き取り調査をする方は、毎年違う人のようであるし、同じことを質問するようである。
時間にして、30分くらいだったが、聴き取りは終わりです、と仰られてから、少し関係のある雑談をプラスαでしてきた感じであった。
歳は、アラフィフかなーと、雰囲気で勝手に思ったが、勝手に、療育の集大成だなって、話をしながら感じた。
たった30〜40分の間に、随分色んな話をしたように感じた。
話し終わった時に、福祉課の担当の方が、こういうお話聞くの好きです。
今日は凄く勉強になりました〜と仰っていた。
私が今日、noteは、つぶやきじゃ足んないなと思い、記事を書こうという気持ちを掻き立てた理由は、たったこれだけのことだった。
しかし、こういう一言二言が心を揺さぶったりするものだ。
娘が反抗期と思春期、コロナ禍、母親の私が、介護の途中というか、間でパートに出たこと、Nintendo Switchを買ってあげた時期、学校を休みがちになった時期が、被った娘が小5の時の話…
質問されながら、色んなことを思い出した。
中3の娘は、小5の時、長いトンネルの入り口付近にいたが、中3、受験生となった今の娘は、限りなくトンネルの出口付近にいる。
どういう経緯で、病院にかかったり、児童デイサービスに行ったり、ペアトレを受けたりしたのかなどや、その時にこんな子が来てましたとか、話さない子が話すようになってとても元気に走り回る活発な子になって高校も行ってるとか、吃音の子も他にもいたり、娘と同じく、3月で児童デイサービスを卒業する男の子の話などもして。
娘は学校に行けない時に、支援教室にも通っている。
うちの場合、一学期、二学期にはあまり行けなくて、三学期は少し頑張って学校にも行けているが、行く行かないは本人が決めているし、支援教室の先生はめちゃめちゃ良い先生でって話や、色んな体験をさせてもらった話、不登校してても、私は色んな体験に参加させていただいて、子どもたちは、不登校してても、ちゃんと考えが一人一人しっかりあること、才能が人それぞれあることなど…
折り紙が普通のレベルでない凄い子の話、学校は休んでいるが、毎日のように父親と釣りに出かけ、デッカい水イカを釣っちゃう釣り名人の小学生の話や、人の気持ちがすごくわかる中学生で将来は臨床心理士になりたいだとか、とにかく話してみると、みんな良い子だったこと、私もとても勉強になったという話をした。
学校に行かないことを私は推奨しているわけではないし、学校へ行ける子は行った方が良いと思う、しかし、そういう子ばっかりではないこと、うちの娘と一回り違う長男や10歳違う次男の子育ての時までは、スポーツや勉強を頑張って、スポーツ校や、進学校に行くのが良いとされてた時代、今の時代もそれもあるにしても、そういう子ばっかりじゃないということは、ここ最近時代と共に個性が大事にされてきたところにもあると思う。
子育てにしても何にしても時代は流れている、変わって当たり前で変化していくのが当然なのだとも思う。
娘のことで、友達問題何かありましたか?みたいな質問に、特にはなかったけど、一度こういうことがありました、という話をした。
そのことで娘は今は何もなかったように振る舞っているが、そして今は忘れているかもしれないが、その時の心の傷は、完全に消えることなく、どこかに残るものだとは思う。
それにも負けずこれから先、強い気持ちで生きていってほしいと願う母親の私である。
先ほども、教室の先生と話をしてきたが、長いトンネルも出口に近い、最近は娘は人の話も聞けるようになったと仰っていた。
昨年の5月ごろから正式にはお世話になったが、教室で過ごした数ヶ月は、娘にとって凄くプラスになったと思うし、母親の私もプラスになった。
学んだことが多すぎて、とても濃い数ヶ月だった。
今日、私立の入試だったりするが、娘が受ける入試も残り1か月を切った。
どう転んでも親はどんと構えるしかないし、母親としてやってきた事に悔いなしである。
こうやって、noteで発信したり、人に話したりすることは、たまには、ネガティブな感情も湧いたりするが、どこかの誰かの役に立っているってことあるたんだなと思う今日の出来事だった。
自分のやってきたことは、間違いなんかじゃない。
今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^