見出し画像

腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.184 冗談はもう通じない義母

近所のおじいちゃんが亡くなって数日が過ぎた。

義母は今、88歳だが、どこそこのおじいちゃんが亡くなったとか、どこそこのおばあちゃんが亡くなったとか、一緒に義母と暮らしていると、少なからず、情報は行く訳で、そういう訃報を隠しておくことがとても苦手な私である。

というか、恐らく88歳くらいになると、よほどしっかりしていない限り、〇〇会館で何時よりお通夜などといった案内を立ててあったにしても、気づかないと思う。

しかし、亡くなったおじいちゃんのことも、私よりもはるか昔から義母は知っているので、とても近所というのもあるけど、隠すことは不可能に近いし、義母は心の中では、気になっているのだと思う。


そもそも、なんで隠したいのか、それは義母の機嫌が悪くなるからだ。

知り合いが亡くなると、いつも機嫌が悪くなるのだ。

私たちが、お通夜、告別式に行かなくて良い時には、あえて話題にしないことにした。

昨日、あることを少し、いつもの調子で夫に言うと、義母はもう本気で怒っていた。

またか、もう、ちょっとした冗談も通じないのだなと思う。

近所と言っても、そのおじいちゃんと親しくしていた訳ではないが、酔った夫に、いつもの調子で、言った一言で、母はちょっと気を悪くしたのだろうけど、介護をしていて、冗談や、少しの笑いはないとやっていけないし、家の中は暗く面白くない。

こんな時こそ、笑っていたい。

嫁姑、77歳の歳の差の祖母と孫、人によるのだろうけど、介護は、ただ、ご飯を食べさせ、オムツ交換をしている訳ではない。
それ以上に、気持ちの面がとても大きい。

その部分をやられてしまうとどうにもならない。

少しでも前向きにやっていくには、ちょっとした笑いは必要不可欠である。

私は、50年間幸せというより、どちらかと言えば不幸せだと思って生きてきた時間の方が長い。

こんな世の中だけど、私の心の中や、家族の心の中はせめて、幸せにこれから生きていきたいと思っているし、生きてほしいと思っている。

『人は、不幸になるために生まれてきたのではなく、幸せになるために生まれてきた』

この言葉に、凄く救われた。

私は不幸と思い生きてきた方が、断然長いが、こんな私でも幸せに生きてはダメなのか?
笑っていてはダメなのか?
これからの人生は、楽しく生きたいそう思う51歳の私だ。

つい、愚痴っぽくなるが、愚痴が悪い訳でなくて、愚痴を言うことが悪いと判断することが悪いということも、カウンセリングで学んだので、私は今思うことをnoteに綴ってみた。

また、昨日の出来事で一つ学んだ。

義母は、今日から新しいショートステイを利用させてもらっている。
義母の心の中は見えないが、ショートステイの他にも、色々な不安があるのだと思う。

義母がショートステイから帰ってきたら、気持ちを新たにと思うし、冗談はなるべく言わないが、その代わり、義母の話に耳を傾けるようにしたいと思っている。

私たちもそうだけど、義母も一日、一日を大切に生きている。

あくまで、仲が悪い訳ではないが、人間同士、考え方が違い、ぶつかる時がたまにある。

寄り添うという意味では、こうしたら、ああしたらと思う節はあるのだが、それがなかなかできないのが人間ではないだろうか。

わかってはいるけど・・・
それをするためには、少しの勇気、いや、そこそこの勇気が必要である。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?